カルマ

「カルマ」とは

カルマのイメージ

カルマ(karma)とは仏教の基本概念であり、語源はサンスクリットの「karman」から派生した、現代のヒンディー語で「kam」または「karm」として使われる、「行い」や「行為」という意味を持つ言葉になります。日常では滅多に耳にすることはありませんが、スピリチュアル系の話や、小説や漫画などの中では、時折見かけることがあるかと思います。

カルマは日本では「業」と書かれ、そのまま「ごう」と呼ばれることもあります。現代においてカルマという言葉は、因果応報により生まれる罪悪を意味したり、人の持つ宿命として使われたりしますが、それらは「結果」として用いられているため、本来の「カルマ」の使用方法としては間違っています。カルマはあくまでも「自らの行為」を差すものであって、それによって生じた「果報」(むくい)がその人について回るものとなるのです。

仏教と「業」

仏教におけるカルマ「業」は三つあり、これらを三業と呼びます。

  • 身業(しんごう)……身体を使ってする行為
  • 口業(くごう、語業ともいう)……言葉による行為
  • 意業(いごう)……心の働き、精神の活動

三業の中でも意業がもっとも重要なものだとされています。私たちの様々な行為は、まず心の中でこうしようと思ったこと(意業)が、その次の段階として行動(身業・口業)に移されるためです。心で思うことなしに行為をすることはありません。なので、仏教においては良き意志を持つことが大事なこととなってきます。良い意志は良い結果を、悪い意志は悪い結果をもたらします。

業によって果報を受ける時期があり、それらを三時業と呼びます。

  • 順現法受(じゅんげんぽうじゅ)……現世で業による果報を受ける
  • 順次生受(じゅんじしょうじゅ)……現世の業による果報を、来世で受ける
  • 順後次受(じゅんごじじゅ)……現世の業による果報を、来世のさらに先の世で受ける

この二つ目と三つ目の、来世やそれ以降で果報を受けるという考え方が、現在の間違った宿命としてのカルマの考え方に繋がっているようです。

業や三時業の教えをわかりやすく受け継ぐ言葉として、「情けは人のためならず」というものがあります。最近では、「親切にするのは甘やかしであって、その人のためにならない」と言った捉え方をすることがありますが、実はこれも誤っています。本来は「人に親切にすればその相手のためだけでなく、やがては良い報い、良い果報となって自分に戻ってくる」ということを差します。人のためになることは自分のためにもなるということですが、すぐに結果が返ってこずとも、それが来世やその先になろうとも、いつか巡り巡ってくるということも表しており、まさに仏教の説く、業の考え方に沿ったことわざとなっています。