神隠し

神隠しのイメージ

誰かがいなくなり、その行方が分からず、理由も分からない、それを古くから人は「神隠し」と呼びました。忽然と消え失せてしまった行方不明者や失踪者は、後に残された者からすると、まるで神によって幽界へと連れ去られた、あるいは隠されたように思えたのです。

神隠しとは

人が突然痕跡を残さずに消えてしまうことを指します。古来、原因の分からない行方不明者は神域に消えた、さらわれたと考えられてきました。現代になると、神域は減り、本来の意味での神隠しは減ってもおかしくないはずですが、今も変わらず行方が分からなくなる人は存在し、それらのことを同じく神隠しと呼んでいます。

古代からある神隠し

古代の神隠しは、神の宿る深い山や森に誤って踏み入れたものが、神の怒りにふれて、または神に気入られてしまって連れ去らわれる、現世と死域の境を超えてしまったために戻れなくなるなどが原因となって起こると考えられていました。その頃の社会では、人と神の領域は非常に近く隣り合っていたため、人がうっかりと神域に入り込んでしまうこともよく起こり、それが神を怒らせて天変地異を招くとも信じられていました。神隠しという現象は、神の怒りを買い災いを呼び込まないよう、神域に近づこうとする者を戒める教訓的な役割も持っていたとも考えられます。

神隠しと神

神隠しを起こす神とはどんな神なのでしょうか?日本には八百万の神という考え方があります。これは、ありとあらゆるものに神が宿っているという信仰ですが、古来の神隠しは、神=自然という考え方や、神=霊魂という考え方に強く結びついており、神隠しにあうということは、人の生きる現実世界を離れて神域または死の世界へとは入り込むことを意味していました。この場合、神とは自然であり、神の使いと言われる動物たちであり、死であり、死をもたらす自然現象でもあります。古い伝承の中では、鬼、妖怪、狐、天狗などもまた、神隠しを起こすと考えられてきました。

神域と現世の境、結界

隣に座っていた者や、一緒に列を作って歩いていた者が突然神隠しにあうこともあります。神隠しが人と神の世界の境界線を越えたことで起こるとすれば、その境界線は実に人のすぐ近くに存在しているわけです。人は、神の怒りに触れたり災いを引き起こすことを避けるため、神域と現世の境だと考えらえる場所に結界を結んできました。それが、「この谷の先は禁足地」という言い伝えだったり、人工的に渡された注連縄や御幣による線引きだったりするのです。さらに、誤って迷い込むことを防ぐために、地蔵や祠、道祖神、庚申塚などの道しるべを立てることで神隠しを防ぐ努力もしていました。

神隠しになりやすいタイプ

神隠しが起こりやすい場所があるように、神隠しに遭いやすい人のタイプもあるとされます。神経質な子どもや産後の肥立ちの悪い女性、痴呆のはじまった老人など、精神的に不安定な状態の者が神隠しにあいやすいとされます。巫女イタコのように、霊と交信できる者がよく神隠しにあうという考えもあります。また、一度神隠しにあって戻ってきた者が再び神隠しにあう例も複数報告されています。

日本各地の神隠し伝説

民間伝承の宝庫である遠野、各地の天狗伝承地など、日本には非常に多くの数の神隠し伝説が残されています。昔話の「浦島太郎」も、竜宮城という場所に神隠しにあった話とも考えられ、東京の観光地である高尾山は、古くから天狗による神隠しが多発するとされ、子どもを探す親が子どもを呼び戻すための場所があったといわれるほか、集落メンバー総勢で行列を作って太鼓を打ち鳴らしながら「かやせ(かえせ)、もどせ」と叫んで回る風習もあったそうです。

神隠しの現実

神隠しとして信じられてきた例の多くは、誘拐・拉致・失踪という他人に強制された場合、家出という自分の意志で姿を消した場合、足を踏み外したり迷ったりして崖や谷や川や海などに転落するなどの事故の場合が多いとされます。特に古い時代には、人による捜索が届かない場所も広く多かったことから、忽然と姿を消してそのまま生死不明となることは珍しくも難しくもありませんでした。原因が犯罪や事故だと判明しない場合も多かったのです。現代になり、神隠しは確実に減っています。それでもなお、親が目を離した数分の隙に消えてしまい、何十年にもわたって行方が分からない子どもの例、家族旅行の途中の駐車場から忽然と姿を消した母親の例など、神隠しとしか考えられないような事例も起きています。

自然が減り、情報社会が広がり、人の手が入らず目の届かない「神域」は確実に狭まってきています。そのため、昔ながらの神隠しはその数を減らしています。それでも、深い山や森では、表現することのできない「気配」を感じることがあります。そんな山には神隠しの伝説や現実的な事例が残っているものです。また同時に、あまりに複雑で雑多な現代社会の中でも、一人の人が神隠しのように消え去ることも、実は大いにありうることなのです。そこに存在する神の種類は異なるのかもしれませんが、昔も今も、何らかの意志によって、人々が神隠しにあっているという現実に変わりはないのかもしれません。