悪魔崇拝

悪魔崇拝とは

悪魔崇拝のイメージ

神ではなく悪魔を崇拝するという悪魔崇拝は、現代社会の中で宗教や思想として存在しています。その在り方は一通りではなく多様性を持ち、悪魔に対する認識にはさまざまな相違があり、異なる団体がそれぞれに異なる思想を持っています。また、悪魔を崇拝しているからといって、必ずしも神を崇拝するほかの宗教と対立しているわけでもありません。

悪魔崇拝には、悪魔を神として崇拝する形、悪魔に人間の本質を感じ取って傾倒していく形、利己的な欲望を実現するための手段として悪魔を利用する形などさまざまなパターンがあります。しかし、現代社会でいう悪魔崇拝は、悪魔主義、サタニズムなどとも呼ばれる宗教的信条の一つであり、必ずしも神に対抗する悪魔を崇拝して世界征服を目指しているわけではありません。概念としての「悪魔」を、ある時は思想的ある時は哲学的に捉えて信仰の対象としたり、理論として唱えたりするのが、主な悪魔崇拝のスタイルとなっています。

悪魔崇拝者とは

悪魔崇拝者であるからといって、必ずしも神を信じる他宗教の信者に対して攻撃的であったり、黒魔術的な儀式を行っていたりするわけではなく、実際にはより理性的であり、少数派の異端的な信仰の形を持っている個人または団体であるにすぎません。悪魔崇拝者の多くは、神を信じないのはもちろんですが、同時に悪魔を含めたあらゆる神的な存在を信じません。なぜなら、あらゆる神への信仰を否定することがその理論の中心である悪魔崇拝者にとって、悪魔を神として崇拝することはその理論に反する行為だからです。

悪魔崇拝のはじまり

悪魔崇拝は神への崇拝が始まったのと同時に生まれたとされます。古くから、旧約聖書に登場する創造神を嫌い、対峙する悪魔を知性の象徴として崇拝する宗派も存在し、その考え方は神への崇拝に対する異端的な悪魔崇拝として捉えられて迫害される一方で、その一部は正統な神学の中に組み込まれてもいきました。

悪魔崇拝と悪魔教会

現代における悪魔崇拝で知られる最大組織に悪魔教会があります。悪魔教会は、悪魔崇拝という言葉が持つ「神ではなく悪魔を崇拝する」「悪で善を圧倒する」「悪魔の力で世界征服を目指す」といったイメージを否定し、あくまで「悪魔」という言葉で彼らが信じる思想を表現しているにすぎません。悪魔教会の信者は、利己的な世界の中で利己的な願望を実現することを願い、あらゆる神を受け入れず、信仰することもありません。しかし同時に、世の中に存在する神的存在を敵対視したり攻撃することも、原則としてありません。悪魔教会信者にとって悪魔崇拝とは、あくまで彼らの理想とする思想や世界観を表現するための言葉なのです。

悪魔崇拝と伝統的宗教

悪魔崇拝は、いわゆる神を信仰するキリスト教やユダヤ教、イスラム教や仏教などのあらゆる宗教とは完全に一線を画します。悪魔崇拝者にとって、伝統的宗教の存在は否定すべきものであり、自己の利害に影響を与えない限りは無視して関与しません。一方で、自身の利益が害された場合には、公然と利己的な主張して対抗します。

悪魔崇拝から生まれた思想や学問

神を信じる伝統的宗教の下では発展することができなかった多くの思想や科学的な分野は、悪魔崇拝の思想の存在があってこそ研究がすすめられたという事実があります。哲学や啓蒙的思想は、キリスト教の教義にだけ従うとすれば非常に狭義なものになってしまいます。神学ですら、相対する悪魔崇拝的な思想があってはじめて発展したといわれています。また天文学、医学、化学などの分野には、キリスト教的には認められない事実が多く含まれています。そのため、悪魔崇拝という逆思想があってはじめて研究を行うことができたのです。

悪魔崇拝という言葉には、怪しげで秘密主義で禁忌な響きがあります。確かに、神の存在に対抗して生まれた悪魔を崇拝するという思想には、それらの邪的な背景がありました。そして、それは今も存在しています。しかし、現代における悪魔崇拝の多くは、キリスト教などの伝統宗教に対抗するために存在する宗教ではなく、人が物質的身体的な自己利害をもとめる思想の代名詞として使われるようになってきているのです。