禁足地

禁足地とは

禁足地のイメージ

古い時代から人の立ち入りが制限されてきた場所があります。それは、世界各地にも日本にも非常に多く存在していました。それらの場所には、危険だからであったり、神聖であるが故であったりとさまざまな理由付けがされています。神秘の多くが科学によって覆されたり薄められたりしている現代ですが、今も世界中にこれらの立ち入り制限エリアは多く残されています。日本にある禁足地もそうです。神の居場所と人の居住地との境目を意味し、人が足を踏み入れることを禁じている場所のことを広く禁足地と呼びます。この場合の神は、古代信仰の神や自然そのもの、八百万の神、神道の神など、あらゆる神を対象としています。禁足地は、神を敬うためだけでなく、人が誤って神の領域である「彼の地」へと入り込むことを防ぐ意味も持つことから、この世とあの世との間にしかれた結界の役割も果たしています。

禁足地はどこにあるか

広大な山がそのまま禁足地である例、島一つが禁足地である例、神社や寺院の全部や一部が禁足地である例など、禁足地はかなり広範囲かつ様々に及んでいた歴史をもちますが、現代はその多くが広く一般に開放されつつあります。そんな中で、今でも部分的に禁足地を守っている場所としては、三輪山や石上神社、沖の島などが知られています。また、神社の奥宮を守る鎮守の森をはじめとし、神社境内の中でも、段差や道、門などの境界線で区切られた場所も禁足地となっていることがあります。

神道における禁足地とは

現代、神社の境内そのものが進入禁止の禁足地とされている例はほとんどありません。それでも、神社の敷地に入る前には手水で手や口を漱いで身を浄める習慣は残されています。また、本殿や奥宮などは一般参拝客にとって今もその多くが禁足地です。これは、神を祀るために浄められた特別な場所である神域を、荒らさないために作られたルールと考えると分かりやすいでしょう。そのため、これらの神道における禁足地は、神主などの神職者や許可を得た者のみ入ることが許されます。

禁足地に入ると何が起こるのか

古くは神隠しに遭うような深い森、事故率の高い危険な場所のある地域、また神や神に近い存在が住むまたは葬られたとされる場所、神に祈るために選ばれた場所などの多くが禁足地とされてきました。これらの場所にむやみに立ち入ることでケガをしたり行方不明になったり命を落とすことが何世代にもわたって繰り返された結果、この場所に入ると死や祟りといった罰を受けるという概念が定着していったと考えられています。

禁足地が減ってきている理由と無くならない理由

歴史的にみれば、禁足地の数も広さも、その禁の強さも確実に減り弱まってきています。それは、自然や神に対する崇拝の感覚が科学の進歩によって薄れていることと無関係ではないでしょう。その一方で、どの時代にも神という人を超えた存在を求める気持ちが完全に失われてしまうことはありません。そのため、神を畏れる心が禁足地の存在を完全に消し去ることを防ぎ、守ることにもつながっているのです。

誰も入ってはいけない、そういわれると入りたくなるのは人の性なのでしょう。また、一部の選ばれた人だけしか足を踏み入れるが許されないといわれれば、それを不公平だと考えて抗議するのもまた人の性といえます。これらの人の性と自然そのものや神域の縮小化、科学の進歩などによって、禁足地は確実に少なくなってはいます。それでも、人の範疇を超えた神の存在を感じる機会は、日常生活の中にもまだ残されています。自然災害などはまさにその一例といえます。この世に人が完全に掌握しきれないものがある限り、禁足地は神の領域のその手前に立ちはだかり続けるのでしょう。