サンジェルマン伯爵

サンジェルマン伯爵はいつの時代に活躍した人物?

サンジェルマン伯爵のイメージ

サンジェルマン伯爵の正確な出自は定かではなく、世にその存在が知れ渡ったのは1700年前後とされています。そこで彼は、スペイン王妃と関わりのあった貴族との私生児と見なされています。18世紀のヨーロッパでおもに社交界での活躍が見られ、博識で多才な能力に溢れた人物でした。

多才な一面

当時はルイ15世が栄華を極めていたフランスで、高貴な身分の人物が社交界に出入りし、華やかな時代にありました。そうしたなかでサンジェルマン伯爵は周囲の人間の注目を集め、魅力にあふれる人物であったとされます。彼の多才ぶりには多くのエピソードがあり、まずはその博識さに周りは驚かされたといいます。社交の場では話力に長け、あらゆる分野での知識が豊富で周囲を惹きつけていたそうです。語学にしてもフランス語の他に英語、ドイツ語、スペイン語などヨーロッパのどの国に行っても会話に困らないほどの語学力があったようです。音楽の才能という点でいえば、バイオリンやピアノを弾きこなし、歌唱力があった上に作曲のセンスもあったとされます。当時の社交界ではこうした才能は人を惹きつけるにはとっておきのもので、行くところでこうした才能を披露し、場を楽しませパーティーの場では重宝されたのです。また化学という学問にも熟知していて、この部分が彼を謎めいた人物とする一因にも後になってなり得たのでした。

神秘性を秘めた化学者としての一面

1758年、サンジェルマン伯爵はパリに活動の場を移し、王族に請願して化学実験室の使用許可を得ました。当時のルイ15世には実験室の使用の暁には「人類に多大な富をもたらす発見をする」と宣言しています。シャンボール城の一室に助手や使用人を配備させサンジェルマン伯爵の化学者としての活動が始まります。この実験室での逸話として以下のようなものがあります。

実験室に招かれたある人物は、銅貨が金属でできた台の上に置かれた状態でサンジェルマン伯爵が手を添えると炎が上がったのち、銅貨が金になったのを見たと証言しています。やがてこうした話が周囲でも噂となり、サンジェルマン伯爵は「賢者の石」といった謎めいた石を持っていて、万物を宝石に変えられるのだろうと考えられていました。現にサンジェルマン伯爵は貴金属や宝石類などを数多所持していて財産の多さも目を見張るものがありました。しかしこれらのものをどうやって手に入れたのか謎であったとされます。化学実験室ではこのほかに絹や革の染色技術などが研究され、ルイ15世を喜ばせ、懇意な関係になったとのことです。

老いのない肉体?

サンジェルマン伯爵の不思議さは、肉体や容姿に老いを感じさせないことにもありました。ある貴婦人が1710年に、当時40~50歳ぐらいに見えるサンジェルマン伯爵に会ったことを覚えていて、それから40年後に再びサンジェルマン伯爵に会いました。そのときの容姿に驚いたといいます。40年前に会った姿とほとんど変わっていなかったのです。このときおそらく80歳を超えていたでしょう。なぜ老いていないのか、不思議でならなかったはずです。サンジェルマン伯爵本人はその貴婦人のことを覚えていて、それからの時間の経過も認識していたようです。

肉体の衰えを見せないサンジェルマン伯爵でしたが、若さの秘密は不老不死の薬を持っているのではと噂されました。そのことに対して当人は多くを語らず、謎のままでした。しかしひとつわかっていたことはサンジェルマン伯爵が食事する姿を誰も見ていなかったということです。晩餐会などで豪勢な食事が出ても何も口にしなかったとのことです。それが老化しない要因とも考えられましたが、誰もがそのようにしたところで同じような結果にはならなかったでしょう。

サンジェルマン伯爵の死

晩年の彼は神秘主義の研究に情熱を燃やしていました。その思い半ばで研究者ゆえの葛藤や周囲の環境に悩み、うつ病とリューマチを患い亡くなりました。記録上では1784年2月27日死去とされています。しかしこれで終わらず、彼の死後フランス革命時に王妃マリー・アントワネットが亡くなったはずのサンジェルマン伯爵から手紙を受け取り、政変に対する助言を受けています。結果的にその助言に従わなかったがために王妃と国王は処刑されることになりました。死んだとされるサンジェルマン伯爵がいまだにこの世に影響力を持っているということの表れとされ、畏怖の念を抱かせることにもなったのです。

こうした逸話が豊富であることからサンジェルマン伯爵は現代でもなおその神秘さやミステリアスな存在が語り継がれているのです。