ラスプーチン

ラスプーチンとは

ラスプーチンのイメージ

本名グレゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン(1869年1月21日~1961年12月30日)は、帝政ロシアの聖職者です。神秘的な力で人々を魅了し、多数の信者を集めました。それが評判となったことで王室や政界にまで繋がりを持ち、国政を左右するほどの権力を持ったと言われています。怪しい力と強大な権力、みだらな性生活で「ロシアの怪僧」と呼ばれたラスプーチン。その異質なキャラクターは映画や小説で人気を集め、現代人にも広く知られています。

ラスプーチンの生涯

神秘的な力を誇り、奇妙な人生を歩んだラスプーチン。その生涯を紹介します。

農夫の息子から奇跡の男へ

シベリアの寒村に農夫の息子として生まれたラスプーチン。貧しさから学校に通うことができなかったものの、熱心にキリスト教に打ち込んでいたといいます。立派な農夫に成長したラスプーチンは、1887年に18歳で結婚。しかし、畑仕事をしているときに生神女マリヤの啓示を受け、1892年に家族を残して巡礼に出ました。数か月後に戻ってきたラスプーチンは、未来予知や病気治癒などの不思議な力を身に着けていたといいます。

皇帝から友と呼ばれるまでに

不思議な力と熱心な姿勢が買われ、ラスプーチンは当時の都であったサンクトペテルブルクで活動を始めます。手をかざすだけで病気やケガを治す姿は人々を魅了し、瞬く間に信者が集まりました。その評判は、ロマノフ王室にも届きます。皇帝ニコライ2世とアレクトラ皇后に気に入られ、王宮医師として宮廷に出入りするようになりました。

1907年、アレクセイ皇太子が血友病にかかりました。当時、血友病は治癒することのない難病でしたが、ラスプーチンは見事に完治させました。これによって、ラスプーチンは皇帝から「我らの友」と呼ばれるほど深い信頼を勝ち取ったのです。

宮中の女性から絶大な人気を誇る

怪しい魅力を放ち、確かな地位を手にしたラスプーチンは特に女性からの支持を集めました。ラスプーチンは信者となった女性達と次々に肉体関係を持ち、非常にみだらな生活を送っていたと言われています。

毒を盛られても平然としていた最期

皇太子の命を救ってからというもの、ラスプーチンはニコライ2世から頻繁に助言を求められるようになりました。国政を左右するほどの権力を持ち、女性に困らないラスプーチン。その様子はさまざまな貴族から反感を買いました。当然ニコライ2世への不信感も高まり、後の帝政ロシア崩壊の一因にもなったと言われています。

1916年、貴族のユスポフ公からパーティーに招かれたラスプーチンは、食べ物に青酸カリを盛られました。しかし、食事をたいらげた後も平然としていたそうです。その驚異的な生命力に業を煮やしたユスポフら首謀者は、ピストルで心臓と肺を打ち抜きました。それでもすぐには死ななかったため、額を打ち抜いたところようやく倒れたと言われています。

当時は不治の病であった血友病を完治させたラスプーチン。やはり、現代の科学でも解き明かせない不思議な力を持っていたと考えられます。平凡な農夫がここまで権力を持ったという驚愕の事実は、「ロシアの怪僧」が優れたカリスマ性をもっていたことの証だと言えるでしょう。