心霊主義

人は肉体と霊魂から構成されている

心霊主義のイメージ

心霊主義とは、人は肉体と霊魂からなり、「たとえ死んで肉体が消滅しても霊魂は存在する」という考えから、現世の人間は死者と交信できるという思想や信仰のことです。「スピリチュアリズム(spiritualism)」「スピリティズム(spiritism)」の和訳としてしばしば用いられます。

死後存続や死後の世界を論じる流れは、17~18世紀の西洋哲学においてすでに存在しました。心霊主義の最も大きな潮流は、19世紀半ばのアメリカで始まりました。1848年に起きたハイズビル事件を皮切りに、死後の世界と交信を試みる交霊会(降霊会)が各地で起こったのです。こうした交信術は「テーブル・ターニング」としてアレンジされ、1920年代には日本にも広まっていきます。日本において「守護霊」や「地縛霊」といった言葉や概念が浸透したのも、この時だと考えられています。

心霊ブームのきっかけとは

それでは、アメリカで起こったハイズビル事件とは、どのようなものだったのでしょうか。

ニューヨークの郊外にあるハイズビル村に引っ越してきたフォックス一家。娘であるマーガレットとケイトは、家の中でラップ音やポルターガイスト現象を体験しました。その後、2人はラップ音と交信ができるようになり、ラップ音の正体は死者の霊によるものだということがわかったのです。この事件の噂は、瞬く間にニューヨーク全土まで広がりました。フォックス姉妹以外にも霊媒を行える人物が次々と登場し、各地で交霊会が勃発。そしてこの流れはアメリカから大陸を渡ってヨーロッパへと広がっていき、世界的な心霊ブームのきっかけになったのです。

多くの学者にも影響を与えた心霊主義

心霊主義は、そののちに心理学の一分野として取り入れられるようになります。1882年、イギリスにおいて心霊現象研究を行う「心霊現象研究協会(The Society for Psychical Research)」が設立されると、心霊主義は科学的に調査され始めました。その支持者には、ルイス・キャロルやカール・ユング、アーサー・コナン・ドイル、アルフレッド・ラッセル・ウォレスなど、各界を代表する知識人・文化人が加わりました。多くの学者たちが、科学だけでは説明できない現象を究明しようと乗り出したのです。

また、心霊主義は「近代神智学」にも影響を与えました。近代神智学は、心霊主義を中心とする西洋の思想に、インドのカルマ輪廻転生など、東洋の思想を加えたものです。1870年代には、ロシア出身の心霊主義者、ヘレナ・P・ブラヴァツキーを中心に「神智学協会」が設立されました。「エーテル体」や「アストラル体」など、現代で親しまれているスピリチュアル用語の多くは、神智学協会で定義されたものだと言われています。このように、一大ブームにとどまらず、多くの学者や文化人にも影響を与えた心霊主義。それだけ死後の世界は誰もが追い求めたくなる思想だったのだと言えるでしょう。