マリー・セレスト号事件
この世界には数多くの「ミステリー事件」と呼ばれるものが存在します。歴史の中で生じた、原因不明の事件。それらの事件は多くの人が調査を重ねても、何がどうしたのか原因も真相もわからないままに、今日も私たちに謎ばかりを与えてきます。そのようなミステリー事件の中に「マリー・セレスト(メアリー・セレスト)号事件」という、“航海史上最大の謎”とまで称される事件があるのをご存知でしょうか。その奇妙さ故に多くの人を魅了するこの事件の概要は、いたってシンプルなものです。
、ブリッグズ船長とその妻、2歳の娘、他7人の乗務員を乗せて出航したマリー・セレスト号が、大西洋を漂流しているところを発見されます。ニューヨークを出発し、イタリアのジェノバ港に向かっていたはずのマリー・セレスト号を見つけたイギリス船「デイ・グラシア号」の船長は、「遭難信号はないが、おそらく漂流中なのだろう」と救助に向かいます。ところが、途中呼び掛けに反応がないことから無人であることを想定しました。そして実際船に乗り込むと船内は確かに無人で、漂流しているという予測も正しかったのですが、マリー・セレスト号の船内からは説明のつかない、いくつかの不可解な点が発見されたのでした。
作りたての朝食
マリー・セレスト号を救助するため船内に乗り込んだ人物が最初に発見したのは、湯気のあがるコーヒー、半分殻の割られたゆで卵、調理室でグツグツと煮える鍋、テーブルに置かれたままの食器類でした。今まさにそこで朝食を食べていた、と言わんばかりの状態。さらに、船員の船室には食べかけのチキンとシチューが残され、洗面所にはひげを剃った痕跡まであるのにも関わらず、肝心の乗員が誰もいない、という実に奇妙な光景がそこには広がっていました。
謎の航海日誌
船長の残した航海日記の最後の日付、には「我が妻マリーが……」との走り書きが。船が発見される前日に何が起きたのか、記述はそこで途切れていました。
船の状態と食料庫
船自体には目立った損傷もなく航海が可能なように見えましたが、羅針盤が破壊され、六分儀とクロノメータは紛失。誰かが故意にこれらを壊し、船を遺棄したことを示しています。しかし、前ハッチと食料貯蔵室の扉も共に開けられているにも関わらず、中が荒された形跡はなく、食料庫には6ヶ月分の食料と水が残されており、船を捨てなければならない理由が見当たりません。また、1700樽のアルコールは9樽が空になっていたものの、それ以外は無事で、海賊などに積み荷を狙われた様子もありませんでした。
なくなった救命ボートと血痕
船に載せられていた救命ボートは、無理矢理ではなく、故意に降ろされた形跡がありました。3つの手すりには謎めいた血痕が付着しており、その1つの手すりには説明のできない引っ掻き傷もついていたのですが、そこ以外は船内に争ったような痕もないため、逆に目立つ痕に謎が深まりました。
マリー・セレスト号の中でいったい何が起きたのか。状況だけを見ると、朝食を食べていた乗員たちが突如として船を遺棄し、救命ボートで海原へと出て行ったと考えるのが妥当なように思われるのですが、だとすれば、何故そのような事態になってしまったのかという疑問が湧いてきます。もちろん、その原因に関しては事件が起きた当時から今日まで、様々な物議をかもしてきました。ミステリー事件と呼ばれるだけあって、その真相は闇の中なのですが、これまでに推測されているマリー・セレスト号事件の原因と思われる説をご紹介します。
神隠し、巨大イカ襲来説
非常にオカルトめいた説ですが、乗員全員が神隠しにあったという人もいます。もしくは海の底から巨大イカが現れ、船を襲い船員を海へと放り出したとか。なんとも奇想天外ですが、真相がまったくわからないため一概には否定できない説です。
フォスダイク文書
マリー・セレスト号が発見されてから約40年後、アベル・フォスダイクという人物の文章が発表されました。フォスダイクはブリッグズ船長の友人で、マリー・セレスト号に密乗していた人物です。1913年、彼の死後、友人であるハワード・リンフォードの手によってストランド・マガジンに文章が掲載されます。日記形式の文章によると、《船長が部下に対し「人間は服を着たまま泳げるのか」という疑問を投げ、船長自身がその証明に甲板から外へと飛び出し、周囲をふざけて泳ぎ回った。それを見た乗組員が面白がり、数人が続けて海に飛び込む。皆が泳ぐ様子を船長の妻と子ども、フォスダイク、2人の乗組員が特別デッキに上がり楽しく眺めていると、突如として海上にいた船員が苦しそうに叫んだ。見るとサメに襲われており、彼はすぐに海に沈んでしまう。残りの乗組員も特別デッキに上がって何が起きているのか確認しようとするが、運悪くそのデッキが壊れ海に投げ出されてしまい、こうしてマリー・セレスト号には誰もいなくなった。そして偶然デッキの破片の上に落下したフォスダイク以外は全員サメに襲われ死んでしまい、流されたフォスダイクは後日、アフリカの海岸に漂着して生き延びた。》ということが真相のようです。しかし事件自体があまりに奇妙であったため、彼はそれを誰にも話すことがなく、死後友人の手で発表されるに至りました。フォスダイクの主張が正しいものなのかどうか、検証する方法は当時も今もありません。
アルコールの樽からの漏れ
現在もっとも有力な説として考えられているもので、空の状態で発見されたアルコールの樽9つからアルコールが漏れたため船を遺棄したという説です。9つの樽から漏れがあれば、船内にはモヤが出るほどになり、それを見て船が爆発すると危険を感じた船長が全員救命ボートに乗るよう指示。しかし、せっかく乗り込んだ救命ボートを船と結び付けることができずボートは遭難してしまい、乗員は溺れたか、海上を漂流した結果、助けが来ずに飢えや乾き、照りつける直射日光のために死亡したと考えられています。
航海史上最大の謎といわれるマリー・セレスト号事件は、朝食や日誌のくだりは事件を面白くするためにあとから加えられたものだとされ、実際にはなかったことだとも言われています。船長の家族を含めた乗組員全員が船を放棄して行方不明になった、という事実が唯一だとされており、そこを説明することができれば事件は解決するとも。しかしながら事件は1800年代に起きたものであり、過去に戻る術のない現在では何が真実なのかを確かめる方法はなく、どの不思議もどの説も正しいのではないかという可能性だけが残されています。おそらくその可能性にこそ、この事件の最大の謎と魅力が潜んでおり、今も人々を魅了し続けているのではないでしょうか。