愛染明王
真っ赤な体と三つの目、そして六本の手を持つ愛染明王は、仏教の信仰対象であり密教特有の憤怒相(怒りを表した表情)をした明王の一つです。梵名を「ラーガ・ラージャ」あるいは「マハー・ラーガ」と言い、「ラーガ」はサンスクリット語で「赤」、「愛欲」などの意味を成し、「愛」と深い関わりを持つことを示唆しています。愛染明王は煩悩と愛欲をかりそめの快楽として否定する仏法の中で、「煩悩と愛欲は人間の本能であり、それを否定することはできない。むしろこの本能を向上させ菩提心(ぼだいしん)に変えさせる」という特殊な功徳を持っています。人の持つ本能的な欲望を認め、そして受け入れ、そこにあるエネルギーを、悟りを求めるエネルギーに昇華させて行く、とてもこの世を生きる衆生(私たち)に寄り添った教えを説いています。
愛染明王の姿
宝瓶(ほうびょう)の上に咲いた赤い蓮の華の上に結跏趺坐(けっかふざ)で座る愛染明王は、一面六臂(いちめんろっぴ)の顔は一つに腕は六本、そして三つの目を持つところが特徴的で、よく背後に日輪を背負った姿で表現されます。三つの目は三界(あらゆる世界)を見通すことができ、頭に獅子の冠をかぶり、髪を逆立て牙をむき出して怒る、なんとも恐ろしい顔をしていますが、その顔こそがどんな苦難にも屈しないという強さの象徴でもあります。
地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六道すべてを救うという六本の腕。この腕は左右第一手に五鈷杵(ごこしょ)・五鈷鈴(ごこれい)、左右第二手に弓と矢、左右第三手は右に未敷蓮華(みふれんげ)を持ち、左は何も持たずに金剛拳(握り拳)を作っています。五鈷杵・五鈷鈴は二つで「無病息災」の守りを、弓と矢は二つで「敬愛」と「融和」を、未敷蓮華と金剛拳は二つで人生の迷いや煩悩による苦しみを打ち払う「増益」と「降伏(こうぶく)」を表しています。ちなみに金剛拳の中には摩尼宝珠が隠されており、これがあらゆる宝と財宝、生命を育むことを意味しています。
愛染明王の信仰
日本には平安時代、空海によって密教とともに伝えられ、鎌倉時代になるとその信仰が広まりました。愛染明王は「愛」と深い関わりを持つことから、「恋愛・縁結び・家庭円満」などを司る神として奉られ、そのため特に女性からの信仰が厚かったようです。中でも他の神とは違い愛欲を否定しないことから、古くは遊郭の娼婦であった遊女の間でよく信仰され、今でも水商売の女性の間で信仰する人が多いです。そのほかにも「愛染」=「藍に染める」という言葉から、染物・織物職人や現在ではアパレル関係者からの信仰もあり、また有名な話では、戦国時代の武将である直江兼続が「軍神」としての愛染明王を信仰し、自らの兜に「愛」の文字をあしらったというものがあります。
愛染明王の信仰
愛染明王が仏として、衆生を諸々の苦悩から救うために発した誓願は以下のものになります。
- 智慧の弓と方便の矢を以って、衆生に愛と尊敬の心を与え、幸運を授ける。
- 悪しき心を仏の力により善因へと転換し、衆生に善果を得せしめる。
- 貪り・怒り・愚かさの三毒の煩悩を打ち砕き、心を浄化し、菩提心を起こさしめる。
- 衆生の諸々の邪まな心や驕慢の心を捨てさせ、「正見」へと向かわせる。
- 他人との争いごとの悪縁を断ち、安穏に暮らせるようにする。
- 諸々の病苦や天災の苦難を取り除き、信心する人の天寿を全うさせる。
- 貧困や飢餓の苦悩を取り除き、無量の福徳を与える。
- 悪魔や鬼神・邪神による苦しみや厄を払い、安楽に暮らせるようにする。
- 子孫の繁栄、家運の上昇、信心する人の一家を守り、幸福の縁をもたらす。
- 前世の悪業(カルマ)の報いを浄化するだけでなく、信心する人を死後に極楽へ往生させる。
- 女性に善き愛を与えて良い縁を結び、結婚後は善根となる子供を授ける。
- 女性の出産の苦しみを和らげ、その子のために信心すれば、子供には福徳と愛嬌を授ける。