テトラグラマトン

テトラグラマトンのイメージ

テトラグラマトン(Tetragrammaton)とは、神の名を表わす「神聖四文字」のことであり、古代イスラエル人の間で信じられていた神、またユダヤ教およびキリスト教における唯一神を表します。イスラム教における唯一神アッラーフもこのテトラグラマトンをアラビア語の呼称としたものです。テトラグラマトンはヘブライ語の4つの子音文字「יהוה」で構成されており、アルファベットに置換すると「Y(またはJ・I)」「H」「V(またはW)」「H」となります。ヘブライ語では筆記の際に母音記号を省略し、子音のみで文章上の意味を読解することが可能な言語です。しかし発音に関しては特定することができず、それゆえテトラグラマトンの発音は現在「ヤハウェ」「ヤーヴェ」「エホバ」といった幾つかの仮説が立てられています。

テトラグラマトンの歴史は古代イスラエル人の歴史と言っても過言ではありません。その発音は現在では失われていますが、旧約聖書に記された古代イスラエル人達の間、またキリスト聖誕の頃のユダヤ人の宗教指導者達の間には語り継がれていました。

テトラグラマトンの歴史1:エジプト脱出

テトラグラマトンの最も古い記述は旧約聖書の出エジプト記となります。モーセの問いに対して唯一神は「私は在りて在るもの」と名乗り、この「私は在る」がテトラグラマトンの語源となりました。出エジプト記の正確な筆記時期は定かではありません。しかし古代イスラエル人のエジプト脱出が紀元前13世紀、第19王朝ラムセス2世の統治中であると言われていることから、紀元前13世紀の段階でテトラグラマトンは筆記と発音が存在したことになります。なお出エジプト記に「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。」という一節があり、古代イスラエルの民はテトラグラマトンをある程度口にしていたことが分かります。

テトラグラマトンの歴史2:バビロン捕囚と解放

古代イスラエル人は流浪の果てにエルサレムに王国を築きます。この王国はやがて北のイスラエルと南のユダに断裂。北はアッシリアによって滅亡しますが、南の民はバビロニアによって囚われの身となり、血脈を保ちます。これ以降、南の民は「ユダヤ人」と呼ばれるようになります。その後、バビロニアがアケメネス朝ペルシアによって滅ぶと、ユダヤ人は解放され、エルサレムに帰還。これが紀元前6世紀となります。この段階でテトラグラマトンはまだ筆記・発音共に語り継がれていました。

テトラグラマトンの歴史3:七十人訳聖書の完成

紀元前3世紀から紀元前1世紀にかけて、旧約聖書のギリシア語翻訳、通称「七十人訳(セプトゥアギンタ訳)」が作られました。この七十人訳の翻訳内容から、この時期にテトラグラマトンの扱いに変化が起きたことが推測されます。現存する七十人訳の写本には、テトラグラマトンはギリシア語の「主」および「神」と翻訳されているもの、また逆にヘブライ語であるテトラグラマトンのみがそのまま表記されているものが多く見つかっています。あくまで仮説ですが、この時期、ユダヤ人の間で神の名が「軽々しく口にしてはならないもの」から「口にしてはならないもの」に変化したと推測されます。七十人訳聖書はその後の旧約聖書の主流となりました。

ただし、旧約聖書は七十人訳以外にも存在しています。そのひとつがユダヤ教社会に受け継がれるヘブライ語の旧約聖書、マソラ本文です。ユダヤ教にはこの聖書を厳格なルールに基づいて写本する文化があり、その正確さは近年発見された紀元前250年頃から紀元後70年までの間の聖書写本、「死海文書」によって証明されました。現在では七十人訳よりもマソラ本文の方が旧約聖書原典に近いとされています。

テトラグラマトンの歴史4:キリスト生誕

紀元前4年にベツレヘムの町でイエス・キリストが誕生。それから西暦1世紀初頭にかけて周辺各地で宣教活動をした後、キリストはエルサレムの地で処刑されます。この時期のキリストの宣教活動はマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネという4人の使徒により記録され、新約聖書の福音四書になりました。この時点ではもうテトラグラマトンは「口にしてはならないもの」として扱われており、福音書における神の名は全て「主」及びそれに準じた表現に置き換えられています。ただし、「口にしてはならないもの」として扱われていたということは、この時点で発音自体はまだ伝えられていた可能性があります。

テトラグラマトンの歴史5:エルサレム陥落

その後、ユダヤ人はローマからの独立機運を高めていき、やがて戦争が始まりました。ユダヤ戦争と呼ばれるこの戦いは西暦66年から西暦70年まで続き、最終的にユダヤ人の敗北とエルサレム陥落によって幕を閉じます。この際、エルサレムの大部分はローマにより跡形もなく破壊され、多くの文献が失われました。この戦争の犠牲者は約110万人。そのほとんどはユダヤ人だったと言われています。エルサレム陥落後、一部の宗教指導者達がローマ皇帝との交渉に成功し、ユダヤ人はかろうじて絶滅を免れました。しかしエルサレム陥落の段階でテトラグラマトンの発音を知る者は誰もいなくなったとされます。こうして神の呼び名は永遠に失われたのです。