魔女裁判
魔女裁判とは
一般的には「魔女狩り」と同義として知られている魔女裁判は、12世紀から17世紀のヨーロッパで、妖術を使い魔女であると認識された者に制裁を加えるために開廷された裁判のことです。悪魔が結託してキリスト教を崩壊させようとしていると信じられ、これらの関係者を裁くために魔女裁判が始まったと言われています。
魔女裁判の歴史
魔女裁判が特に盛んだったのは、16世紀後半から17世紀にかけてだと言われています。一説によると魔女狩りが始まったとされる12世紀、キリスト教主導のもと数百万人もの人が処刑されたと言われています。魔女裁判の特徴としては、宗教的な立場にある人物が主導したものより、民衆によって進められた方が多かったと考えられています。つまり当時の社会不安がもたらした集団ヒステリーの一種であり、「自分たちの不幸な生活の元凶は魔女の呪いのせいであり、魔女裁判で魔女を裁いて制裁を加えること」で、この不安をぬぐいさっていたのではないかとの説です。その根拠となっているのが、旧約聖書「出エジプト記」の「女呪術師を生かしておいてはならない」という一文にあり、これにより民衆の間で魔女狩りや魔女裁判が進められたというものです。呪術を使う者は魔女である、魔女を許してはならぬ、と魔女として訴えられ者はすでに結論が見えているにもかかわらず、あえて取り調べという名の拷問を受けることになったと言われています。この拷問は単に自白を引き出すための手段であり、ときには「この者は魔女である」と第三者が根拠なく行った証言さえも、採用する場合もあったとされています。なお、魔女と名称されていますが、実は魔女裁判にかけられたのは女性だけでなく、男性も呪術師と認識されると魔女裁判にかけられたのでした。
しかし、17世紀後期になると、知識階級の影響で魔女に関する認識が変化していきました。個人の行為は魔女や悪魔などの超自然的な力ではなく、個人の概念によるものだとの説が広まったのです。魔女への畏怖は継続されましたが、かつてのような拷問はなくなり、魔女裁判でも無罪になることが多くなったと言われています。その後、時間と共に魔女裁判そのものが衰退していくのでした。
各地の魔女裁判
魔女裁判(魔女狩り)の多くはヨーロッパで行われていましたが、国によって魔女裁判の様相は違っていたようです。たとえばイタリアのベネチアでは、裁判後の制裁があったものの鞭打ちまでで、実際には処刑はなかったと言われています。またドイツでは、17世紀に大規模な魔女裁判が行われました。一方、スペインでは異端審問はあったのですが、魔女裁判は行われなかったとも言われています。逆にポーランドやハンガリーといった国々では、魔女裁判が盛んに行われたとされています。海峡を挟んだイングランドでは、1590年代をピークに魔女裁判は衰退していきましたが、北のスコットランドでは1660年代まで魔女裁判が続いたとされています。お隣のアイルランドでは、一転して魔女裁判自体が行われていなかったそうです。一方、はるかヨーロッパから離れたアメリカでは、ニューイングランドのセイラムの魔女裁判が大きな事件として、人々に衝撃を与え、アメリカの歴史に深く苦い爪痕を残すほどでした。その他、非ヨーロッパ諸国の中では、インド、アフリカ、パブアニューギニアでは、20世紀に入っても呪術師への迫害があったと言われています。