来世

来世のイメージ

来世は「らいせ」「らいしょう」などと読み、現在の人生を終えたあとに生まれ変わる、次の人生のことを指しています。仏教においては「前世、現世、来世」と呼ぶ「三世」のひとつとされています。もっとも、仏教でも宗派によってその捉え方は異なっている上、またそれ以外の多岐にわたる解釈も存在するので厳密には言えませんが、仏教で来世は転生する先の世であるという前提があります。

宗派で見る来世について

浄土宗では、迷いのない無の境地の魂は清涼なる浄土へ、そうでない魂はその魂の行いをもとに六道へ分かれるとされています。また浄土宗は来世に成仏を託すという教えでもあります。日蓮宗では、命の灯が消えても魂は成仏できるとは限らないと説いています。仏になれずに苦しむ魂もあるというのが日蓮の教えでもあります。

ほか密教関連いずれも死後の世界を説いているものの、あくまで死後の世界への旅立ちであり、魂が新たな人生を現世で歩む、つまり生まれ変わりについての言及は曖昧になっています。

スピリチュアル視点で見る来世について

しかし、スピリチュアリズムでは、死後、魂は一度、死後の世界に召され、やがて魂は再び人間の肉体に宿るとされています。それは魂がまだ大きな慈愛を得てはいない、清められていないことを指します。現世は魂にとって学び舎のようなものであり、転生を繰り返すことで、それぞれの立場の様々な感情を体感し、その魂が慈愛に目覚めたとき、転生は終わるのです。その魂は霊的に清められ、上層階へと上がっていくとされています。死後、三途の川を渡るなど臨死体験をしたという人間のエピソードがありますが、それらは心象風景であるという説もあり、その真意は未だ検証されていません。

今世の記憶は引き継がれるのか

なお海外では、前世の記憶の持った人のケースを調査し、生まれ変わりの有無の研究結果が残されています。それはいずれも5歳以下の子供たちの事例で、前世の記憶において詳細な記述があり、前世について、現在の子供たちが知る由もないことまで語っていることから、来世の存在が真実である可能性を明らかにしています。ちなみにその記憶は成長とともに失われていくものだと考えられています。また来世=輪廻転生への見解は、ヒンドゥー教や仏教などインド哲学・東洋思想などにも見られます。