黒ミサ

黒ミサとは

黒ミサのイメージ

黒ミサとは、悪魔崇拝者たちが行う儀式のことを指しています。これはローマ・カトリック教会の信者たちが行う神を崇拝する儀式のミサに対抗したものであり、このミサと逆の行いをして神を冒涜することを主旨としています。ミサとは、カトリック教会においてワインを介して生体の秘跡が行われる祭儀のこと。司教や司祭によって執り行われ、信者たちが参加して神への崇拝を捧げる、最も重要かつ一般的な儀式です。黒ミサは、ミサの正反対に位置するものであり、崇拝対象は悪魔であるサタン。色調は黒、祭壇には逆十字が架けられ、ワインではなく幼児の血を飲み干し、生贄として嬰児を捧げ、祭壇前では司祭と信者による淫行や暴行が繰り返されます。

黒ミサに定型はないとはいえ、ミサの逆という原型は持ちます。そのため、「逆十字」「黒い色調」「(裸の)女性」「淫行」などは、黒ミサの儀式を行う上で必要な要素としてある程度固定されています。また多くの黒ミサで、祭壇とみなされる裸婦、悪魔の化身である司祭、参加者である悪魔崇拝者たちが覆面し、悪魔を倣った服装をしていることもあります。 黒ミサは、ローマ・カトリック教会に対する反発から始まったとされるため、その儀式は最初から神を冒涜することを目的としていました。言い方によっては、その原型をミサに求めることも出来るでしょう。黒ミサは、神や神の教えを信じる者の掲げるルールとそれにとらわれた社会に反発する手段だったと捉えることも出来ます。

黒ミサの芸術化

黒ミサにはミサの逆という位置付けはあっても、黒ミサそのものに定型はありません。そのため、その儀式の形式も思想も、それを行い信じる者に自由な発想を持たせることができます。一例としては、黒ミサの芸術化があげられます。黒ミサを取り上げた絵画が多く残されていることから分かるように、黒ミサはその儀式としての価値だけでなく、芸術的な対象として注目されるようになっていきました。黒ミサの芸術化は、19世紀以降特に高まり。多くの芸術家が黒ミサに参加するようになり、その様子を広く世間に知らしめるようになりました。

黒ミサは、ミサに対抗する儀式という原型にとどまらず、さまざまな分野に影響を与えていきます。中世後期以降の芸術に与えた影響の大きさは、残されている芸術作品の数々から想像することができます。また同様に、近代魔術にも少なからぬ影響を与えています。黒ミサの儀式はミサとは異なりアレンジが可能であることから、新しい形の宗教や魔術の誕生を促し、中には狂信的な信者を持つカルト宗教も生まれています。またファッションや思想といったムーブメントの要素としても取り入れられていきました。

黒ミサとサバト

黒ミサとよく混同されるのがサバトです。サバトの原型はギリシャ神話の酒神を讃える祭りであり、その乱れた様子からキリスト教によって異端としてみなされ、悪魔崇拝者の饗宴として位置づけられるようになりました。サバトを開くのは悪魔と契約を結んだ魔女であり司祭ではありません。また、サバトは暴行や淫行を含む、夜宴(飲食と享楽の宴)のことであり、黒ミサはサバトの中の一イベントとして行われることがあっても、この二つは同意味ではありません。

黒ミサの有名事例

キリスト教徒は当然、黒ミサという儀式もそれを行う者も認めず批判し攻撃しましたが、中世以降は、魔女と疑われる者または陥れたい対象を罰する時の理由として、黒ミサを利用するようになります。また、黒ミサと黒魔術の混同も起こり、特に貴族や知識階級の間で、黒ミサを行うことで特別な願いを叶えようとする者もあらわれました。フランス王ルイ14世の寵姫だったモンテスパン侯爵夫人フランソワーズは、ルイ14世の寵愛をつなぎとめるために黒ミサを行い、自ら裸になって祭壇の役割を担い、誘拐してきた嬰児の血を浴びたとされます。しかし、ルイ14世治世における最大の醜聞を巻き起こしたフランソワーズは、告訴こそ逃れたものの、その寵愛を完全に失ってしまいました。

ミサのパロディ(模倣)の一種として誕生した黒ミサですが、徐々にミサから離れて「黒ミサ」という一つの儀式、芸術の対象としての地位を確実にし、さらに派生して、黒魔術やカルトなどの手段や祭儀としても取り入れられていきました。現代も、黒ミサはキリスト教にとっては冒涜であり、汚辱として扱われ、一部では子どもや女性が犠牲となるカルト的・犯罪的な事件も起きています。その一方で、より文化的なパロディとしての黒ミサも社会に浸透しています。一例としては、人気歌手のコンサートを黒ミサと呼ぶことなどがあげられるでしょう。