霊魂

霊魂とは

霊魂のイメージ

霊魂とは、生あるものを物質的な存在と非物質的な存在から成っていると考えた時、後者の非物質的な存在を表す言葉とされます。実体のないものであるため、その認識はさまざまで、定義することは非常に困難ですが、その存在は古代から現代まで広く認められてきました。

生あるものとして人間を考える時、その肉体とは別に存在するのが霊魂だと考えられています。霊魂は人間の精神的な働きを司るものであり、思い・感覚・意識などと言い換えたり、それらの全部または一部を合わせたものと考えたりできる存在だとして認識される傾向にあります。また、霊魂が人にだけ存在するという説もあれば、生命を宿すものすべてに存在するという説や鉱物なども含むさらに広い範囲のものにあてはめる説などもあります。霊魂の定義は、個人レベル、文化レベル、宗教レベルなど、さまざまなスタンスによって異なるほか、科学的なアプローチによる検証も行われるなど、常に議論や研究の対象として注目されています。

霊魂と「霊」と「魂」

霊魂という言葉は霊と魂の二語から成り立っています。霊魂の定義が不確定である以上、霊魂と霊と魂の関係性にも定義はまだありませんが、一般的には霊は意識の源に当たる部分であり、不変。そして、あらゆる精神活動の中心となります。魂は、この霊を含みつつそこから発生したり派生したりする感情や思いなどの精神すべてを含んでいるとされます。このように霊と魂とはその核の部分は共通しており、霊を中心として魂が存在すると考えられます。こう考えると霊魂は魂と等しいと結論づけられそうですが、実際には、霊という核となる部分とそれを含むより広い精神活動である魂とを、優劣なくそれぞれの存在を認めた上でその両方を合わせた非物質的な存在すべてをまとめて表現しているといえるでしょう。

宗教と霊魂

アニミズム思想から新興宗教まで、多くの宗教的な考え方の中で、生あるものには霊魂が存在し、たとえ物質的な肉体が滅んでも、非物質的な霊魂は残ると考えられてきました。さらにその霊魂は、そのまま物質的な肉体の存在していた場所に残ることもあれば、霊魂のみが存在する世界に属するようになるという考えもあります。または、新たな物質的な肉体を得るとする宗教もあります。古代エジプトでは、霊魂は不滅だとする信仰が強かったために、霊魂が過ごすためのピラミッドを造成し、霊魂が戻ってくることができるよう肉体をミイラ化しました。キリスト教では、肉体・精神・霊魂が人間を構成していて、霊魂から精神が生まれ、霊魂と精神は肉体に宿ると考えることが多く、霊魂は人間の中心となる大切な存在だと考えられています。また仏教では、霊魂は存在しないとする無我を説きます。エジプト文明が肉体を失った霊魂が転生することを信じるのに対して、仏教では生まれかわること(輪廻)から解き放たれることを目指します。このように、多くの宗教で霊魂の存在を意識していますが、その捉え方は異なります。

宗教と並び、多くの哲学者たちも霊魂について思考し論じてきました。ソクラテスやプラトンといった哲学者たちは、ギリシャ文明の影響を受けつつ、霊魂こそが自己であり、知と善の核であり、不滅の存在だと考えました。

霊魂は、精神・思いなどの非物質的な存在であり、思想的・感覚的な捉え方と比較して、科学的には捉えにくいものです。それでも近代以降、多くの分野の科学者たちが調査に基づいた推測、その推測の立証を試みています。これまでに、数学者、物理学者、医師、超心理学者らが、それぞれに霊魂の存在を科学的に証明しようと研究し、その成果を発表していますが、現時点では科学的定義として認められたものはありません。

日本における霊魂

日本では、キリスト教や仏教といった渡来の宗教や文化における霊魂という概念が存在するほか、日本独自の霊魂概念も存在しています。日本におけるアニミズムの一つの形ともいわれる神羅万象、民間信仰に根づく八百万の神、日本神話と神道における霊の存在なども、世界における霊魂と同じく分類や定義は行われてきませんでした。しかし、日本における一般認識としては、外来の霊魂も日本古来の霊魂も同様に受け取られる傾向が強いようです。

霊魂が実際に存在するという科学的な実証はないものの、物質的な存在である肉体に対する非物質的な存在としての認識は広まっています。ただ、概念的な存在であるがゆえに、その分類や定義は困難であり、捉え方、信じ方、表現方法は多種多様にわたっています。また、その多種多様性から、文学や芸術的なテーマとして扱われる機会が多いのも、霊魂の一つの特徴といえるでしょう。