先祖供養

先祖供養とは

先祖供養のイメージ

先祖を大切に祀り、供養する。それは日本では古代からごく自然に行われてきました。先祖と今ある自分とは、深く長くつながる縁(えにし)によって結ばれています。そこには、遺伝子や血統といった科学的なつながりだけでなく、霊的なつながりもあります。そして、先祖供養をきちんと行うかどうかは、現世を生きる私たちにも大きく影響を与えます。

先祖供養を、単に仏壇に手を合わせること、墓参りをすることなどと捉えている人が多いかと思います。確かにそれも先祖供養の一つの形ですが、本来の先祖供養が意味するところを理解していなければ、その価値が変わってしまいます。先祖は既に亡くなっている人たちです。でも、彼らにも生まれて生きて死ぬという人生がありました。その過去の彼らの人生のあり方を知った上で供養することで、先祖との因縁を、現世を生きる私たちに悪影響という形で与えないように導くことができます。また、彼らが与えてくれる加護をより大きく受け取ることにもつながります。先祖供養の基本は、まず先祖を敬う気持ちから始まります。そして、彼らをできる限り知り、彼らが求める形の供養を行うことこそが大切です。

先祖と自分

親や祖父母、親戚などを見渡すと、どこかに因縁を見つけることができるものです。それは外見や性格に出ていることもあれば、人生そのもののあり方に現れることもあります。例えば、自殺や事故、離縁、犯罪などが、何代か離れた家系の中で繰り返されている例があります。特に現世の自分の人生に降りかかっている因縁に的を絞り、分かりうる範囲で先祖を遡ってみると、驚くほどよく似た人物や状況を発見できる可能性が高いでしょう。先祖の多くは実際に会ったこともなく、昔話や噂話でも耳にすることのない存在がほとんどです。家系を調べていけば調べていくほどに現れてくる因縁の繰り返しに、普段は感じることのないそんな先祖たちとのつながりではあっても、間違いなく今の自分につながっているのだと驚かされます。

先祖を知ることの大切さ

先祖と自分がつながっていることは理解できても、そのつながりの濃さや今の自分に与える影響の深さを本当の意味で知るには、自分の先祖についてより多く知ることが重要となります。先祖は、身近な存在である親や祖父、親戚などを含んではいますが、さらに遡った、名前も耳にしたことのないような存在もまた間違いなく先祖です。ただ、家系図が伝わっているような家柄でもなければ、それらのすべてを知ることは不可能でしょう。それでも、先祖を知ろうとすること自体、そのために親戚に尋ねたり、図書館などで調査をしたりといった行動そのものが先祖供養につながります。そしてたとえわずかではあっても、先祖の存在を知ることで、現代につながる因縁をも知ることにつながっていくはずです。

先祖を供養することの意味

先祖たちは死んではいても、またこの世の未練を残していたり、未練はなくとも成仏するには至っていない場合があります。少なくとも死後49日間は魂としてこの世にとどまり、さらにその後も50年という長い期間を、成仏するために生前の罪を償ったり、背負った傷やトラウマを癒すための修行に費やすといいます。この期間は、生者が死者である先祖に対して積極的な供養をする必要がある時期にあたります。それは49日法要、一周忌、三周忌などの一般的に浸透している供養の形となっているほか、お彼岸時やお盆などの墓参りもまた供養となります。それらを怠らずに行うことで、先祖が少しでも早く安心して成仏すること、その結果現世を生きる生者たちに彼らが因縁を残さないことへとつながっていきます。また、これらの形式的に知られている供養だけでなく、50年を経てもまだ成仏できずに迷っている先祖の霊を特別に供養することも必要になることがあります。特に今の自分の周りに先祖や過去との因縁を感じる現象が起きているのなら、時期や形式にこだわらず、必要な供養を積極的に行うことで、悪影響を及ぼす不要な因縁を断ち切り、先祖も生者である自分も安らかな境地を得ることができます。

先祖供養の正しい方法

先祖供養は本来、自分の身に不幸が起きてから行うものではなく、日常的に行うのが当たり前のものでした。ところが、現代では自宅に仏壇のある家が減り、位牌の存在が忘れられ、先祖代々の墓も無縁となってしまっている例が少なくありません。まずは、先祖の存在を思い出し、生きている先祖たちと共に話し合いをするところから始めましょう。先祖を想う気持ちを改めて胸に抱えることが、先祖供養となります。そして、位牌を探し、小さくても仏壇を用意し、日々清めて祈りを捧げる習慣をつけましょう。墓参りは自分で訪れるのが一番ですが、それが難しいならば管理している寺などに連絡を取り、管理料を支払うことで墓掃除や読経を依頼することもできます。まずはできることから少しずつ初めていけばいいのです。ただし、すでに先祖の因縁によって現世の生活に悪影響が出ている場合には悠長に構えてはいられません。もし、墓が遠すぎて管理が難しいのであれば、正式な手順に則って墓を移すなどの行動をとることも必要となるでしょう。墓の移動は霊の嫌うことではあっても、そのまま放置して無縁仏となるよりは数段マシです。ただし、この場合は人任せにせず、自分の手できっちりと今後も続けていける先祖供養の形を作り出すことが大切です。

先祖供養を怠ると起こり得ること

先祖供養を怠っていると現世にさまざまな影響を及ぼすことがあります。例えば、過去の水子供養を怠ったことで、子宝に恵まれない、先祖の位牌の管理が不十分だと縁遠くなり、孤独になる、墓参りなどの先祖供養が不十分だと家族が不仲になる、早死にする人が増えるなどが起こりえます。自分に直接的な非のないことであっても、先祖の非がそのまま自分に降りかかってくることもあります。「マジメに生きてきたのに」「どうして自分が?」そんな風に思う人ほど、先祖供養が必要なのです。

古くから引き継がれてきた日本の生活スタイルが変化するにともない、先祖との絆を感じる機会は減り、供養への思いは薄れつつあります。しかし、先祖たちにとって時代の変化は無関係。これまでと同じように供養されることを望んでいます。時代が変わったからといって、現代を生きる私たちが先祖供養を怠れば、それなりの罰を受けることになる、それが因縁としてさまざまな不幸な現象を引き起こしている可能性があるのです。