禍津神

禍津神とは

禍津神のイメージ

禍津神は「まがつかみ」と読み、古来日本に伝わる神道の神です。禍々しいという言葉を名の頭に被る神だけあり、災いをもたらす、または災いの源であるとされて、長い歴史の中でも忌み嫌われることの多かった珍しい神様です。しかし同時に、人々は禍津神を祀ることで災いから逃れようと祈願したことから、禍津神が災いから救ってくれる神へと変化を遂げてきたという面もあります。

イザナギとイザナミによる国産み・神産みの後、死んだ妻イザナミを追って黄泉の国へと降りたイザナギが、黄泉から逃げ帰った時に穢れを浄めるために行った禊ぎによって誕生したとされています。ようするに、穢れから生まれた神なのです。古事記などでは禍津日神(まがつひのかみ)と呼ばれていますが、現代は短く禍津神と呼ぶことも多いようです。禍津神は穢れから生まれたという出自もあり、災厄を司る神であり、人々に災厄をもたらす悪神であると同時に、災厄から守る善神でもあると考えられています。

悪神の禍津神

禍津神は人々に災厄をもたらす悪神だと考えられてきました。日本古来の神々について記された古事記を研究し古事記伝を残した本居宣長も「禍津神は世の中に不公平な災いをもたらす根源である」としています。それというのも、人が一生の間に受ける災厄と幸福とは、平等に分け与えられているものではなく、またその人の生き様などとも必ずしも一致しない「不合理」なものであり、この不公平をもたらしているのが禍津神という神の存在とその仕業だと考えたのです。

善神としての禍津神

本居宣長らの神道研究の跡を継ぎ、独自の神学を立てた平田篤胤は、禍津神を善神としました。平田篤胤によると、人々の内側には禍津神の分霊が宿っていて、人が災厄に見舞われた時に拒絶反応を起こすといいます。彼の説では、人に降りかかった災厄に対する怒りや戸惑いは、心の中のこの霊が起こしているものなのです。したがって、禍津神が災厄をもたらしているのではなく、それに怒りを抱いているのだから、悪神ではなく善神だという主張です。また、人の内側には禍津神だけでなく、直毘神(なおびのかみ)もまた存在し、こちらは、災厄によって受けた怒りなどに精神的なダメージを鎮める働きを担っているとされます。

禍津神を祀る神社

禍津神の属性が善か悪かの判断は分かれるものの、神であることは確かです。その証拠に、神社の主祭神として祀られている場所があります。金沢市の「瀬織津姫神社」は、主祭神に禍津神(禍津日神)を祀っています。瀬織津姫神社には、大禍津日神と瀬織津比咩(瀬織津姫)が「世の中の罪穢を浄め、凶事を除き去る神」であるとの由緒書きが建てられています。

人がその内側に多面性を持つように、多くの神もまた善悪の二面性を持つとされることがあります。禍津神はその出自から「悪」の看板を掲げてはいますが、その悪をもたらす存在として受け取られることもあれば、悪を感じ取って騒ぐ存在、さらには、その悪を祓ってくれる存在としても扱われることがあるのです。