日本三名狸

日本三名狸とは

日本三名狸のイメージ

日本の化け狸界で最高峰の知恵と化け術を持っていたとされる、3匹の狸のことです。新潟県佐渡島の「団三郎狸」、香川県屋島の「太三朗狸」、兵庫県淡路島の「芝右門狸」を指します。この3匹の狸は人間との関わりが非常に深かったことから、現在も神社や祠に大切に祀られています。

日本三大狸の伝説

3匹の狸がどのように日本三名狸と呼ばれるまでになったのか、詳しく紹介します。

新潟県佐渡島「団三郎狸」

団三郎狸は佐渡にいる全ての狸の頭領で、100匹ほどの子分を支配していたといいます。佐渡に留まらず、東日本全体の狸を束ねていたという説もあります。佐渡は狸王国と呼ばれる狐がいない地域ですが、それは団三郎狸が追い払ったためだと言われるほどです。

団三郎狸は当然ながら人間を騙すことが得意でした。夜道を歩く人の前に大壁を作りだして脅かしたり、蜃気楼を出して人間を惑わせたり、木の葉をお金に変えて買い物をしたりしていました。また、体調を崩せば人間に化けて医者にかかっていたと言います。団三郎が棲んでいた相川町には、こんな話も残っています。医者の元忠はある夜、急病人の知らせを受けて二ツ岩周辺の立派な屋敷に連れてこられたといいます。そこには怪我をした子供がおり、元忠は丁寧に手当てを行いました。屋敷の大人達は大変感謝し、高額の謝礼を包みました。翌日元忠が屋敷を訊ねると、そこには屋敷などありませんでした。後日、怪我をしていた子供は団三郎狸の子狸であったことがわかったといいます。

団三郎狸は、金貸しで人助けをしていたことでも有名です。人間に化けて働いた給料や、悪人から盗んだお金を管理し、無利子で貧しい人間に貸してあげていたというのです。このように人間社会と深い繋がりを持っていた団三郎狸は、島人達から愛されていたといいます。団三郎狸は死後、相川町下戸村に二ツ岩大明神として祀られ、現在も人々に厚く信仰されています。

香川県屋島「太三朗狸」

太三朗狸は日本一の化け術を持っていたとされる四国狸の総大将で、四国八十八箇所霊場84番礼所、屋島寺の蓑山大明神の守護神です。その化け術の腕は飛びぬけており、源平合戦のようなスケールの大きい幻術も、1匹で正確に再現したと伝えられています。

太三朗狸は、空海や中国の名僧である鑑真など、数々の僧を山頂のお堂まで親切に案内したと言われています。現在の屋島寺の地に寺院が移った際に、太三朗狸を信頼した空海から守護を任されました。

彼らの影響を受けた太三朗狸は学問の大切さを感じ、屋島に学校を設けて全国の若い狸に修行を積ませたといいます。また、江戸時代末期に起きた狸の大戦争、阿波狸合戦では、緊張状態にあった金長狸と六右衛門狸が和解するよう見事に仲介したと伝えられています。

そして、太三朗狸は日露戦争の際にも沢山のお供を引き連れて赤い軍服で戦場へ向かい、日本軍を援護したと伝えられています。船上では得意の変化の術で小豆一粒を兵隊1人として大量に化かして戦わせ、日本を勝利に導きました。ロシアの敵将であるクロパキトンの手記には「日本の兵には赤い服を着た者が時々混じっていて、いくら撃っても進んでくる。しかも、この兵隊を撃つと目がくらむ」と記されていたといいます。

太三朗狸は、現在も屋島寺・蓑山大明神で大切に祀られています。太三朗狸は一夫一妻の契りを結んだ愛妻家でもあったため、家庭円満、縁結び、子宝のご利益をもたらすとして、全国から多くの人がお参りに訪れています。

兵庫県淡路島「芝右門狸」

芝右門狸は、淡路島三熊山に芝右門大明神として祀られています。

淡路島の三熊山にお増という女狸と夫婦で棲んでいた芝右門狸は、身長が180㎝もある大狸であったと言われています。大きなお腹で打つ陽気な腹鼓は大太鼓のように島に響き、それが聞こえた翌日は大漁であったと伝えられています。イタズラはするものの、基本的には教養のあるかしこい狸で、人間が道に迷うとおじいさんに化けて案内したといいます。人々は芝右門狸に助けてもらうと、必ずお礼にお酒を収めていたそうです。

化け術にも優れており、たった1匹で立派な大名行列に化けるのが得意でした。ある時、芝右門狸は大阪の中座で行われている芝居をどうしても観たいと思い、お増と共に人間に化けて大阪へ行きました。しかし、目の前の大名行列を芝右門狸だと思ってはしゃいでいたお増は、武士に切り殺されてしまいます。それは本物の大名行列だったのです。芝右門狸は、せめてお増も見たがっていた芝居を存分に楽しんでから淡路へ帰ることにしました。木の葉をお金に化かして、連日芝居小屋に通ったのです。売上に木の葉が混じっていることから狐か狸がいると睨んだ芝居小屋は、入口に犬を置きました。芝右門狸はその犬に喉を噛まれ、あっけなく命を落としました。しかしその化け術は見事なもので、死んでもなお、23日間は人間の姿であったと伝えられています。淡路の人々は大変悲しみ、祠を建てて芝右門狸を祀りました。

芝右門狸の死後、中座は客足が遠のきました。名の通った狸を殺してしまった祟りだと恐れた人々が芝右門狸を祀ったところ、客足は一気に良くなったと言われています。それ以降、芝右門狸は「人気の神」として多くの役者や芸能人に信仰されています。

日本三名狸の伝説は、人間と動物の関係が良好であったことが強く伝わってくるものです。この伝説が本当ならば、狸に感謝し、狸に畏れを持って共存していたからこそ、戦争にまで駆けつけて日本を守ってくれたのでしょう。