狐の嫁入り

狐の嫁入りとは

狐の嫁入りのイメージ

狐の嫁入りとは、日本の本州、九州、四国などで語り継がれてきた説明のつかない現象です。夜間の山野に提灯のような怪火が現れ、次第に怪火が集まって長く伸びるさまを指します。春から秋によく現れ、天気が変わる前の重たく蒸し暑い空気のときに、特に目撃されたと言われています。その長さは、4㎞にもわたることがあったというのですから驚きです。怪火が一列になり、わずかに上下しながらついたり消えたりする様子は、大変美しかったと伝えられています。呼び方は地域によって様々で、「狐の婚」、「狐の嫁取り」、「狐の祝言」ともいいます。

その他、狐の嫁入りは天気雨のことも指します。

狐の嫁入りと狐の関係

昭和中期の日本では結婚祝いの際、夕刻に大勢の提灯行列でお嫁さんを迎える「嫁入り行列」という風習がありました。しかし、嫁入りがない日にも提灯行列が目撃されたり、灯りの近くまでいくと何もなかったりする不思議な出来事がよく起こりました。昔の人は、狐が嫁入り行列を真似て人間を化かしているのだと考え、その現象を狐の嫁入りと呼ぶようになったのです。また、天気雨のことを狐の嫁入りと呼ぶ理由には主に3つの説があります。空が晴れているのに雨が降るという奇妙な現象が、まるで狐に化かされているようであったためという説。人と同じように結婚式を行う狐が、人間から「嫁入り行列」を隠すために雨を降らせているという説。人間の男性と恋に落ち、生贄になると承知で晴れの日に嫁にいった女狐の涙であるという説があります。

狐の嫁入りと豊作の関係

稲荷神社の主祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)をはじめとした「農耕・食物を司る神様」です。稲荷神社に必ず鎮座している狐の像は、その神様の使いだと言われています。狐は畑を荒らす害獣を捕まえることや、黄金色の毛が稲穂に似ていることから稲荷神の使いとして扱われました。そのため、狐の嫁入りはただの狐のイタズラではなく、豊作の吉兆としても捉えられていたのです。狐の嫁入りの目撃が多い年や、怪火の数が長く伸びている年は豊作、少ない年は不作であったと言われています。狐の嫁入りは田植えの後に現れることが多かったため、農民は期待を持って狐の嫁入りを見つめました。

狐の嫁入りの正体

狐の嫁入りは各地で伝承されているため、その正体について様々な説があります。1番有名なのは、「虫送り」ではないかという説です。日本では農作物を虫や病気から守るため、たいまつを灯して田んぼ周辺を歩きまわる行事が存在しました。この虫送りの灯を見間違えたのではないかというものです。他には、「ツキヨタケ」などの発光するキノコ、何かしらの動物の骨に含まれるリンの発光などもあげられます。しかし、どの説も4㎞にも及ぶ狐の嫁入りの説明はつかないこと、そのような些細な光が人の目に留まるのかなどの疑問が残ります。

狐の嫁入りに関連する行事

狐の嫁入りを模した行事は、全国各地で行われています。狐のお面をつけたり、狐の化粧を施したりして嫁入り行列をするもので、地元の人から観光客にまで広く愛されています。有名な行事・お祭りを一部紹介します。

つがわ狐の嫁入り行列

新潟県東蒲原群阿賀町津川のお祭りです。津川の麒麟山には狐がおり、昔は毎日のように狐の嫁入りの灯りが見えたと言われています。毎年5月3日、白無垢姿で狐の化粧をした花嫁が、狐の真似をしながら108人のお供を引き連れて夜の街道を練り歩きます。町では明かりを消して、たいまつや提灯で行列を迎えます。

王子 狐の行列

東京都北区王子のお祭りです。その昔、大晦日の夜に装束稲荷神社のご神木である大きな榎のもとに関東各地の狐が集まり、装束を整えてから王子稲荷神社まで初詣にいったといいます。毎年12月31日の深夜になると、狐に仮装した一行が同じように装束稲荷から王子稲荷まで練り歩きます。

稲穂祭

山口県下松市花岡のお祭りで、毎年11月3日に行われています。白い狐の夫婦が祀られているという花岡福徳神社で、古くから行われていた豊作祈願の奇祭です。総勢600名で1㎞の距離を練り歩きます。狐の夫婦を演じる男女は良縁に恵まれると言われ、お面の下の正体は住職しか知りません。

狐の嫁入りが見られると言われている「狐の窓」を知っていますか?決められた形に指を組み、そこから外の世界を覗くと、通常は見られないものが見えると言われています。両手で狐を作り、クロスさせて耳を合わせたら、指をすべて開きます。中心にある穴(窓)から覗いてください。蒸し暑い夜には、狐の行列が見られるかもしれません。