九尾の狐

九尾の狐とは

九尾の狐のイメージ

九尾の狐とは、九つの尾を持った狐の霊獣、妖怪です。金毛九尾の狐とも呼ばれます。日本で有名な九尾の狐は「玉藻前」ですが、その伝説は日本にとどまりません。美女に姿を変えて人間の心を狂わせる恐ろしい存在として、中国、インド、北朝鮮などでも語り継がれています。

日本の九尾の狐「玉藻前伝説」

平安時代末期、玉藻前という美しい女性が鳥羽上皇に仕えていました。その美貌は天下一、国一番と誰もが認めるものでした。玉藻前は美しいだけではなく非常に聡明であり、何を訊ねてもすぐさま正しく答えられたといいます。やがて、その美貌と博識によって鳥羽上皇の寵愛を一身に受けるようになりました。しかしその頃から、鳥羽上皇は原因不明の病で床に伏せるようになったのです。

そこで呼ばれたのが、陰陽師の安倍泰成でした。安倍泰成によって、鳥羽上皇の不調は玉藻前の仕業であることが判明。さらに、安倍泰成は玉藻前の正体が九尾の狐であるという衝撃の事実も見抜きました。正体を明かされた玉藻前は、九尾の狐の姿を現して宮中から逃亡。まもなくして、那須野(現在の栃木県那須郡)に九尾の狐が現れたという情報が寄せられました。

鳥羽上皇はただちに安倍泰成を軍師、三浦介義明、上総介広常、千葉介常胤を将軍とした軍勢を那須野へ向かわせます。姿を見せた九尾の狐は巧みな妖術で逃げきろうとしますが、とうとう追い詰められて矢を放たれました。しかしその瞬間、巨大な石へと姿を変えたのです。その石は動くことなく絶えず毒を放ちました。周辺の花は枯れ落ち、飛ぶ鳥や虫は落下し、近づく人間も命を落としたといいます。人々は生き物を殺す石として、この石を「殺生石」と呼ぶようになったのです。

現在の殺生石と御神火祭

殺生石となった玉藻前。鎮魂のために沢山の高僧が訪れては、命を落としたと言われています。しかし至徳2年、玄翁和尚が一喝したところ、殺生石は3つに割れて飛び散ったといいます。そのうちの1つは今でも栃木県那須町に、しめ縄をかけられて存在しています。一帯は殺生石園地と呼ばれる観光地になっていますが、九尾の狐の呪いなのか、殺生石の付近はガスの噴出が多いため、近寄ることはできません。

毎年5月には、御神火祭が行われています。狐のお面をして白装束に身を固めた人々が松明を持ち、九尾の狐を祀っている那須温泉神社から殺生石まで、狐の嫁入り行列を行うのです。手にしていた松明は、御神火へと放ちます。御神火が激しく燃え盛るなか、郷土芸能の白面金毛九尾太鼓 が披露されるという迫力ある火祭りです。

各国の九尾の狐

玉藻前は一説によると、中国やインドから渡ってきたと言われています。各国に姿を現した九尾の狐について紹介します。

中国

中国最古の国である「殷」王朝で、絶世の美女「妲己」に化けて紂王を誘惑し、妃となりました。妲己を喜ばせることだけに夢中になり乱れた生活を送った紂王は、国民の信頼を失いました。殷王朝が終焉を迎えた原因は、妲己だと言われています。

インド

古代インドの耶竭陀国で、国が傾くほどの美しさを持つ華陽夫人に化け、「斑足王」を虜にしました。王を操って、千人もの人を虐殺させるなど極めて残酷であったといいます。しかし、狐の姿で寝ているところを弓で射られたのをキッカケに正体が明かされ、逃げ去ることとなりました。

北朝鮮

美少女に化けて男性をたぶらかし、最終的に命を奪う「クミホ」という魔物として扱われています。クミホは、男性の心臓を1000個食べると人間になると言い伝えられています。

この世のものとは思えない美しさで、1000年以上生きてきたかのような物知りの女性が現れたら、それは九尾の狐かもしれません。男性の皆さんは、どうかお気をつけて。