吸血鬼

世界各国に伝わる、人の血を吸う化け物の伝承

吸血鬼のイメージ

吸血鬼とは、鋭い牙で人間や家畜の生き血をすすり、その生気を奪う不死の怪物のことです。18世紀初頭、イギリスの作家であるブラム・ストーカーが『ドラキュラ伯爵』という小説を出版すると、欧米諸国を中心にその名が知れ渡るようになりました。透き通るような青白い肌に端正な顔立ち、黒いマントに身を包んだそのイメージは、彼の作品によるものが強いと言われています。しかし、彼の作品が発表されるはるか昔から、吸血鬼の民間伝承は世界中に存在しました。現代においても、「ヴァンパイア」「ドラキュラ」以外に、「グール」「キョンシー」「ウピオル」など、様々な呼び名で恐れられています。

吸血鬼伝説はルーマニアから始まった

吸血鬼伝説の発祥は、古代ルーマニアだと伝えられています。キリスト教では亡くなった人を土葬で弔いますが、ルーマニアをはじめとする東欧諸国では、墓地に埋めて一定期間経った死体を別の場所に埋葬し直す「改葬」の習慣がありました。その際、腐敗せずに生前のままの姿をとどめた死体がいくつも発見されたと言います。何らかの理由で腐敗菌が繁殖しない状況下にあったのか、その理由は明らかではありませんが、当時の人々は「これが吸血鬼だ」と考えました。自殺など不自然な死を遂げた者や、神の教えに背いた者の肉体は土に還ることなく、血液を求めてこの世を永遠にさまよい続けるのだと信じられたのです。

吸血鬼は鏡に映らない

吸血鬼には、「人の血を吸って生気を奪う」という以外にも、以下のような特徴があることがわかっています。

  • 不老不死
  • 身体能力が異常に高い
  • 力が強く、頑丈な身体を持つ
  • 驚異的な自己治癒能力
  • 牙のように鋭く尖った犬歯
  • コウモリや狼などの動物に変身できる
  • 天候を自在に操る

吸血鬼かどうかを見破るには、その人に鏡を向ける方法や、影があるか確かめる方法などがあります。吸血鬼は鏡に映らず、影もないと言われているためです。

吸血鬼の弱点

神の教えに背き吸血鬼となってしまった彼らは、聖水や十字架など、キリスト教にまつわる道具に強い拒絶反応を見せます。また、ニンニクなど香りの強いものや、イバラやケシの種など、鋭く尖った植物も効果的です。「吸血鬼に噛まれた人は吸血鬼になる」と言われていることから、昔の人々は眠るときに、ベッドの周りや玄関先、ベランダなどにこれらを吊るし、魔除けとして用いたと言います。

吸血鬼を撃退するのに有効な手段として、「日光に当てて灰にする」「心臓に杭を打ち付ける」「銀の銃弾で心臓を打ち抜く」といったものがあります。しかし、太陽の光の下でも問題なく行動できる吸血鬼も存在するとされており、その真偽は定かではありません。

「串刺し公」と「血の伯爵夫人」

現代に至るまで、その残虐な所業や血に対する異様な執着などから、「吸血鬼だ」と揶揄される人物は多く存在します。その中で、今回は2人の人物をご紹介します。

ヴラド・ツェペシュ(1431~1476年)

先述した『ドラキュラ伯爵』のモデルの一人だと言われている人物です。彼は、1447年にワラキア公国(ルーマニア南部)の君主の座につきました。彼が戦時中に行った刑罰はあまりにも有名。捕虜の肛門から杭を打ち込み、口まで貫通させて串刺しにし、さらにその死体を杭ごと地面に突き立て野ざらしにしたのです。そのあまりにも惨すぎる行いに、人々から「串刺し公」という名で恐れられました。

エリザベート・バートリ(1560~1614年)

ハンガリーの貴族で、別名「血の伯爵夫人」という異名を持つ人物です。感情の起伏が激しかった彼女は、粗相した侍女を折檻していた時、侍女の血を手の甲に浴びます。その血をふき取ると、まるで肌が美しく生まれ変わったような錯覚に陥りました。それから彼女は、若い処女の血を求め、下男に領内の若い娘たちを誘拐させ、虐殺や拷問の末に手に入れた血で浴槽を満たし、そこへ浸かって美を保ったと言います。

彼らは本物の吸血鬼だったのか、それとも吸血鬼の名を借りた、ただの異常者だったのか?その真相は、今も謎のベールに包まれたままです。現代においても、巷で動物の血を飲んで生活している吸血鬼を自称する人たちや、彼らのサポート団体が存在すると言います。もしかしたら、吸血鬼は私たちのすぐそばにもいるかもしれません。