ノストラダムスと予言

ノストラダムスとは

ノストラダムスと予言のイメージ

ミシェル・ノストラダムス(1503年12月4日~1566年7月2日)は、世界で最も有名な南フランスの予言者です。ノストラダムスはペンネ―ムで、本名はミシェル・ノートルダム。占星術師として予言書を出したことは確かですが、本職は医師でした。南フランスでペストが大流行した際には、自らの感染を顧みず人々の治療にあたり、大いに活躍したといいます。1534年、最初の妻と子供をペストで亡くしました。その後再婚し、三男三女をもうけたとされています。占星術師、医師にとどまらず、詩人や科学者、文化人としても名を残したノストラダムス。当時は予言書以外の書籍でも人気を博しており、非常に多才で勤勉な人物だったことがわかります。

ノストラダムスの著作活動

ノストラダムスが本格的に執筆を始めたのは、40歳を過ぎた頃だと言われています。この頃から占星術を本格的に学び、1549年には『暦書』という1年分の予言書を、毎年出版するようになりました。また、有名なものだと1555年に出版した「化粧品とジャム論」という書籍です。彼の医学知識が詰まった美容法や、栄養満点なお菓子の作り方が載っており、10回以上も重版がかかるほどの人気でした。

占星術を通して王侯貴族と交流

博識ぶりが話題となったノストラダムスは、フランス国王のアンリ二世に認められます。王妃カトリーヌが占星術を愛していたこともあり、頻繁に王宮へ招かれるようになりました。1559年、アンリ二世は馬上試合にて、誤って片目を槍で突かれて亡くなりました。ノストラダムスはこの事故について予言していたため、人々は驚き、その力を称えました。図らずも、不運な事故が予言者としての地位を確かなものにしたのです。それからというもの、多くの権力者が彼のもとへ相談に訪れるようになりました。それは、晩年まで続いたと言われています。

ノストラダムスの死

ノストラダムスは1566年7月2日、63歳でこの世を去りました。自身はベッドと長椅子の間で死ぬことを予言し、その通りの姿で発見されたといいます。

ノストラダムスの予言

ノストラダムスは、人類滅亡の予言者として広く知られています。日本では、1973年に出版された『ノストラダムスの大予言』で人々を震え上がらせました。「空から恐怖の大王が降ってくる。アングルモアの大王を復活させるために」。この文章が、1999年7月に、人類が滅亡する予言だと読み解かれていたためです。しかし、ご存知のとおり、1999年は無事に過ぎ去りました。
このパニックが起きた原因は、ノストラダムスの予言の仕組みです。さまざまな言葉を繋ぎ合わせて構成された予言は、いかようにも解釈できることがわかっています。そのため、ノストラダムスはそもそも人類滅亡の予言などしていなかったというのが、現代の見方です。人類が滅亡しなかったからといってノストラダムスを偽物として扱うのは、いささか軽率だと考えられます。

的中したとされる予言

人類滅亡はしませんでしたが、的中したと思われる予言は数多く存在します。いずれも解釈の仕方によるところはありますが、大変興味深いものです。ここでは、近年の出来事だとされている予言をご紹介します。

アメリカ同時多発テロ

「空は燃える 45度で 炎は近づく 大いなる新都市に 時をうつさず ばらまかれた巨大な火が跳ねまわる」
北緯40度から45度に位置するニューヨークが爆撃されるということでは?と囁かれていた予言です。その後、2001年9月11日にアメリカ同時多発テロが起きました。

福島第一原発事故

「平地に水平に置かれた大釜は 炉で作られるものが漏れ 害悪を生み出すものと言われ沈められる」
東日本大震災発生後に注目された予言です。環境汚染についても言及していると言われています。

まとめ

ノストラダムスは、3797年まで予言をしたと言われています。まだまだ続くノストラダムスの予言。一体、彼にはどんな未来が見えていたのでしょうか。