ロアノーク島

ロアノーク島とは

ロアノーク島のイメージ

ロアノーク島は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州にある、自然豊かな島です。15世紀末、イングランド人はアメリカの植民地化を計画しました。ロアノーク島は最初の植民地候補となり、1584年に初めて開拓者が上陸。しかし、先住民であるネイティブインディアンと激しく衝突し、一度は撤退を余儀なくされました。ところが翌年に再度上陸し、問題を抱えながらも島の開拓を進めたといいます。1587年、開拓者が新たに大勢の植民者を連れて上陸。それが、現在も解明されていない「ロアノーク植民地集団失踪事件」の始まりでした。

ロアノーク植民地集団失踪事件

1587年、開拓者のジョン・ホワイトと117名の植民者が、ロアノーク島に上陸。ジョンはネイティブインディアンに歩み寄り、友好関係を築こうと努力しました。しかし、初上陸時の衝突が影響し、会うことさえ拒まれたといいます。

この状態で島の開拓を進めるのは難しいと判断したジョンは、物資の補給や応援を求めてイングランドへ戻ることにしました。島には、115人の植民者が残ったといいます。男性87人、女性17人、子供が11人。その中にはジョンの娘と、生後間もない孫娘も含まれていました。

当初、ジョンは3ヶ月以内にロアノーク島に戻るつもりでした。しかし、イングランドはスペインとの戦争(英西戦争)を始めており、支援をお願いできるような状況ではなくなっていたのです。戦争のために船を押収されてしまったこともあり、ジョンがロアノーク島に戻れたのは3年後のことでした。

1590年8月18日。3年ぶりにロアノーク島に上陸したジョンは、信じがたい現実を突きつけられます。115人の開拓者全員が、跡形もなく消えていたのです。島中を探し回って見つけたのは、木製の柱に彫られた「CROATOAN(クロアトアン)」という文字だけでした。島を離れるときは木にマルタ十字を彫るという約束をしていましたが、それさえも発見されませんでした。

唯一の手がかりである「CROATOAN(クロアトアン)」とは、ロアノーク島から80㎞程南にあるクロアトアン島(現在のハッテラス島)ではないかと言われています。ジョンは探しに行こうとしましたが嵐に見舞われ、引き返すことしかできませんでした。

こうして、ロアノーク島は集団失踪事件の起きた「失われた植民地」と呼ばれるようになったのです。この失踪事件の謎はいまだに解明されておらず、現在も考古学の専門チームが調査を進めています。

世界の集団失踪事件

ロアノーク植民地集団失踪事件と同様に、大勢の人間が一気に姿を消す現象は世界中に記録があります。

ノーフォーク連隊集団失踪事件

第一次世界大戦下の1915年8月。英国陸軍ノーフォーク連隊、およそ300名が、トルコ・アンザック付近のサル・ベイ丘に向かって歩いていました。後ろに続く別の連隊は、丘の上から霧が降りてくるのを確認。ノーフォーク連隊は次々とその中に吸い込まれていきました。やがて霧が晴れると、ノーフォーク連隊の姿は跡形もなく消えていたのです。有益な手掛かりはなく、行方不明として処理されました。

ハーメルンの笛吹男

1284年6月26日、ドイツのハーメルンという町に、笛を持った派手な衣装の男が現れました。男が笛を吹いて町中を練り歩くと、子供たちはみるみる吸い寄せられて男の後につき、130人もの大行列に。男は笛を吹きながら子供達を町の外へ連れ出し、忽然と姿を消しました。そのまま笛吹男も子供達も、2度と戻ってこなかったのです。

現在では観光地となっているロアノーク島。美しい公園や水族館を楽しみに人々が足を運ぶ、明るい島です。失踪事件が起きたのは遠い昔のことですが、その謎は未だ解明されないまま。そのことを思い出すと、気軽に足を踏み入れるのがためらわれる気もします……。世界各地で起こる不可解な失踪事件。消えた人々は、一体どこへ行ってしまったのでしょうか。