即身仏

“死ぬこと”を前提とした大変な苦行

即身仏のイメージ

即身仏とは、日本の仏教における、いわゆる僧侶のミイラのことです。「生き入定(いきにゅうじょう)」とも呼ばれます。即身仏になる行者たちは、まず木の実や木の皮を食べて余分な脂肪や水分を落とし、木の箱に入って土の中に埋められます。土中では竹筒などで作られた通気口から最低限の空気(場合によっては水も)が与えられ、行者はその中で経典を読んだり、瞑想をして時を過ごします。長い年月の末、皮下脂肪は落ち、身体の水分はなくなり、生きながらにしてミイラに近い状態になるのです。西洋のミイラはあらかじめ脳や内臓が抜かれ、薬剤によって腐敗しないように処理を施しますが、即身仏は人間の形状を保ったまま自然乾燥させたもの。そのため、厳密に言えばミイラとは異なる存在だと言えるでしょう。

一方で、高温多湿な日本の気候では肉体の腐敗を完全に防ぐことは困難なため、中には即身仏になれなかった者もいました。行者たちの中には即身仏として無事に往生できるよう、土中に入る前に人体にとって毒である漆の樹液を飲んで嘔吐し、できる限り身体の水分を抜こうとした者もいたと言います。即身仏になることは、身体の辛さはもちろんのこと、長い年月をかけて自らの“死”と向き合う必要があるなど、想像を絶するほど大変な苦行だったのです。

即身仏の目的

これほどまでに辛く苦しい修行であるにも関わらず、行者が即身仏になろうとした理由は何だったのでしょうか。日本に現存する即身仏たちが即身仏となった理由として、主に以下の3点の説が考えられます。

まず、「衆生救済説」です。飢饉や疫病、天災などによって、苦しむ人々を救うために、高名な僧侶が己の身と引き換えに「人々を救済してください」と祈願しながら念仏往生したというもの。

次に、「即身成仏説」です。「即身成仏」とは、真言宗の開祖・弘法大師空海の教えによるもので、大日如来と一体化することで、現世の姿のまま仏陀になるという、真言密教の根本的な思想です。空海には高野山で生身のまま即身成仏となったという伝説があり、後世の真言宗の僧たちもその空海の教えを実現しようとしたという説。

最後に、「弥勒信仰説」です。「弥勒信仰」とは、仏教の教えで「弥勒菩薩が56億7000万年後に、釈迦の救いから漏れた282億人を救済しに下生する」というもの。この教えを信仰する僧や行者たちは、弥勒菩薩の到来まで生き続けることはできないので、即身仏となることで自らの身体を残そうとしたのです。

真如海上人の即身仏

日本で最もその名が知られる即身仏の一つとして、山形県鶴岡市にある湯殿山総本寺 瀧水寺大日坊の「真如海上人」の即身仏が挙げられます。真如海上人は、山形県の朝日村越中山という場所に生まれ、幼少の時から仏教の教えに心惹かれました。やがて仏門に入り、仏国楽土を目指し人々を救済するためにその身を尽くしました。真如海上人はまず十穀断ちをして身体の脂肪や水分をそぎ落としただけではなく、さらに余分なものを出すために、47日間塩と水だけを口にして生活したと言います。そして地下3mの石室に入り、96歳にして即身仏となりました。その御姿は、時を経た現代でも多くの人々から尊ばれています。