キツネ憑き

キツネ憑きのイメージ

まるで本当にキツネの霊に取り憑かれたのではないかと思うほど、精神が錯乱した状態になる「キツネ憑き(狐憑き)」という怪異現象。これは、古くから伝承されてきた概念とも言えます。この不思議な現象はいつ頃から確認され、どのようなエピソードが伝えられているのでしょうか。また、キツネは古くから霊獣や稲荷神の使いとしても知られています。そんなキツネがなぜ取り憑くのか、そもそもなぜキツネなのかもあわせて見ていきましょう。

キツネ憑きの意味と神聖化

「キツネ憑き」とは人間が精神錯乱状態にあり、文字通りキツネが憑依しているかのように異常なことを口走ったり、奇怪な行動を取ったりすることの比喩表現として使われています。そもそも昔は、何かしら不思議な事象が起きると、“キツネが憑依しているかのように”ではなく、本当にキツネが憑依して事態を引き起こしているのだと考えられていました。しかし人はキツネを“人を惑わす迷惑な存在”として見てはいませんでした。なにしろキツネは古くから、神様(稲荷神)の使いのシンボル、つまり神使としてその存在を知られていたのですから。人心を惑わしたとしても、それに対して怒りや疑念を持つことをせず神聖化されていたのが実情です。

日本の古い文献の中に登場するキツネ憑きの記述の中で、最古の例と言われているのが今昔物語です。その後の江戸時代になると、キツネ憑きの記述は書物の中にたくさん見出せるようになりました。

日本において、キツネが霊獣視される傾向が強くあったのは、上記の通り古くから稲荷信仰が盛んだったからだと考えられています。稲荷信仰とは、古事記や日本書紀では「ウカノミタマ神」と記されている、いわゆる稲荷神への信仰のことです。今でも稲荷神が祀られている稲荷神社(お稲荷さん)では、白いキツネが稲荷神の使いのシンボルとして狛犬のように社殿前に座っており、神聖なるイメージが広く知られています。また一説には、古代中国ではキツネを妖獣として見ている側面もあったことから、古代中国の文化が日本へ伝わってきたときに、さらにキツネへの神聖視が強化されたとも考えられています。

ところで、キツネはよくタヌキと比較されることがあります。キツネとタヌキの化かし合いですね。ただここでも、タヌキはキツネと比べて低級な動物と言われています。キツネと比べて動作も鈍く、動物学の観点からしても劣っているといいます。その点でも、キツネは気高く神聖視されるに相応しいとの考え方も出てくるようです。その他にも、日本にはキツネによって吉凶を占う習俗などもあり、キツネのシンボルは多く用いられています。

日本に見られるキツネ憑きの伝承

日本の各地には、古くからキツネ憑きのエピソードが伝えられています。キツネに憑かれた人の不思議な現象や体験はもちろんのこと、キツネに憑かれた人のキツネを祓い落とすための方法も含めて、多数の言い伝えがあります。

キツネに憑かれた人からキツネを取り祓うことを、「キツネを落とす」と言います。キツネ落としを担うのは、主に祈祷師の役目でした。通常、年配の女性がキツネ落としの祈祷師として仕事をすることが昔は多かったようです。当時は、精神が錯乱する以外に、神経痛、関節炎などの病気もキツネ憑きによるものと思われていたため、病気になった民衆に対しても、祈祷師が必死にキツネを落とすために尽力していたと言われています。つまり祈祷師は祈祷を行う以外に、医術を振る舞う医者としての役割も担っていたと考えられます。ある説によれば、祈祷師は祝詞を上げ、自分の身に神仏を降臨させることによってキツネを叱ります。こうして、キツネを退散させ、病を治していたと言われています。なにしろキツネに憑かれている人を放っておくと、内臓を食いちぎられて病になり、果ては命まで落とすとも考えられていたほどですから、キツネ落としは欠かせない術でした。また、祈祷師が落とす以外にも、人間に化けたキツネを松葉でいぶすと、キツネの化け術が解けるというエピソードも、古いお話にはあります。

このように、キツネが憑依することによって起きる不思議な現象には、実に様々なものがあり、日本各地に伝承が残っています。キツネが起こす行動は、やはりどこか特定できない不思議な魅力があります。