オシラサマ

民間信仰の神

オシラサマのイメージ

オシラサマとは(おしらさま・お白様・オシラ様・オシナサマとも表記されることがある)東北地方で信仰されている家の神であり、一般的には蚕の神、農業の神、馬の神とされています。御神体は桑の木で作った30センチほどの棒で、その先に男女の顔や馬の顔を書いたり彫ったりしたもので、その上から布切れで作った衣装を多数重ねて着せています。東北でも特に青森県や岩手県で信仰され、その存在は柳田國男の「遠野物語」によって全国的に知られるようになりました。男と女、馬と女、馬と男、など2体1対で祀られることが多いオシラサマですが、それには深い意味があります。オシラサマ信仰の元となった、悲しい物語がそこには秘められているのです。

馬娘婚姻譚

昔、長者の家に美しい姫君が1人いました。16歳になった姫君は、ある日厩につながれた栴檀栗毛(せんだんくりげ)の名馬を見つます。その馬があまりに見事な名馬だったため、姫君は一目で恋に落ちてしまいました。足繁く厩に通う姫君とその馬はすぐに想いを通わせ合い、ついには夫婦の契りを結びます。ところが、姫君の行動を不審に思った父親である長者がそれに気付くと、怒りのあまり馬を殺してしまいます。そして殺した馬の首をはね、桑の木に吊るしました。そのことを知った姫君はたいそう嘆き悲しみ、馬の首を抱きしめます。するとどうでしょう。馬の首が姫君を連れたまま天へと昇って行くではありませんか。馬と姫君はそのまま、天から帰って来ることはありませんでした。

そうして姫君を失った両親が悲しみにくれていると、夢枕に姫君がたち「の朝、土間の臼に馬の頭の形をした白い虫がわく。その虫は蚕といい、桑の葉で飼い私の代わりに大事にしてほしい」と告げました。両親は姫君の言葉通りに、臼にわいた蚕を大事に育て、養蚕を行うようになったということです。

物語の出所は古代中国の「捜神記(そうじんき)」だとされており、どういう経路かはわかっていませんが、それが青森のイタコに伝わり語り継がれるようになったと言われています。伝承されている地域により物語の詳細は違ってきますが、馬と娘と蚕が登場するところは共通しており、そこから蚕や馬、そして女の神などと言われるようになったようです。

女性だけのオシラ祭り

オシラサマは、女の神、目の神、子どもの神でもあります。特に女性とは繋がりが深く、オシラサマ信仰のある東北地方の家では年に一度、小正月のになると一族の女性が大人から子どもまで集まり、オシラサマのお祭りを行います。神体のオシラサマの顔に白粉を塗り、「オセンダク」という新しい布(衣装)を着せ、オシラサマを遊ばせる。祭りを行う際にオシラサマを遊ばせると言いますが、実際にオシラサマを使って遊ぶわけではありません。祭ることを遊ぶというのです。冬の日に囲炉裏を囲みながら、雑煮や鍋などをつついて行われるこの行事は、娯楽のない昔は特に、女性や子どもの年に一度の楽しみでした。

そしてこの日、一族の長老である老婆が巫女役となり、一年の吉凶や失くし物のありかを占いもします。オシラサマには予知能力もあり、名前の通り「お知らせ」してもらうのです。名前の由来もそこから来ているという説もあるくらいなのですが、東北地方にはオシラサマが火事や地震など不吉なことが起きる前に知らせたという話が多く残っています。

オシラサマの信仰の背景には、山神信仰や、生活を支えた馬に対する信仰、養蚕作業、また生活の苦しみを背負う女性の支えとなるものとしての役割があったのではないかと考えられており、次第に薄れ行く信仰の中、今も家を守る神として多くの家々で祀られています。