地蔵菩薩

地蔵菩薩のイメージ

地蔵菩薩」と聞いても、何だろう?とピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。しかし、「お地蔵様」と聞けば誰しもが同じものを思い浮かべると思います。地蔵菩薩とは、寺院の境内や村の入り口、峠、あぜ道、四辻や墓地の入り口などに安置された、私たちに大変馴染みの深い「お地蔵様」のことです。

地蔵菩薩の由来

地蔵菩薩とは古代のインドで使われていた言語である、サンスクリット語「クシティ・ガルバ」の漢訳にあたり、クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味を持つ言葉なので、それが意訳され「地蔵」と呼ばれるようになりました。言葉の通りインドの大地の神の一種であり、あらゆる命を育む力を蔵した大地の象徴として祀られた仏様です。

そのお地蔵様こと地蔵菩薩は、私たちにとっては「お釈迦様が亡くなり無仏となった世界に、次の仏となる弥勒菩薩(みろくぼさつ)が登場するまでの五十六億七千万年の間、六道輪廻する衆生(この世で生きとし生けるもの)を救う役目を持って来られた菩薩」という、大変ありがたい存在になります。「菩薩」とはサンスクリット語で「悟りを求める者」という意味を持ち、この世界には虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)、聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)、普賢菩薩(ふげんぼさつ)など、普通に生活している分には滅多に耳にすることのないようなものまで、様々な菩薩が祀られています。そのように数多くの菩薩が存在する中で、どうして地蔵菩薩が特別に、これほどまでに身近で親しまれるようになったのでしょうか。もちろんそれには、いくつかの理由があります。

地蔵信仰の広がり

日本で地蔵菩薩への信仰が始まったのは平安時代、浄土思想が起こった頃だとされており、当時地獄へ落ちることを恐れた人々が、地蔵菩薩に対して地獄からの救済を求め信仰を始めました。その後鎌倉時代になると、現世利益の仏や、身代わり地蔵として信仰されるようになります。現世利益の仏とは、地蔵菩薩は衆生である私たちを救うために、二十八種利益と天龍鬼神のための七種利益を説いており、地蔵菩薩を安置したり拝んだりすることによってその御利益を得ることができるのですが、それが衣食安寧、家内安全、長寿息災、五穀豊穣、安産、供養など、この世で誰でも願うような御利益と深く結びついているが故にいわれるものです。また、身代わり地蔵というのは、「代受苦(だいじゅく)」という、私たちの身代わりとなってあらゆる苦しみを引き受け、私たちを安らかな世界へと導いてくれる地蔵菩薩の誓いが元になっているもので、特に混沌とした鎌倉の世相の中では衆生の心の拠りどころとなり、信仰を篤くしました。

江戸時代になると、「地蔵菩薩が率先して賽の河原に足を運び、親より先にこの世を去ってしまい、親を悲しませ親孝行の功徳もないことから三途の川を渡れず、賽の河原で鬼にいじめられながら永遠に石を積み上げなければならないとされている幼い魂に、仏法や経文を聞かせ徳を与え、成仏させている」という逸話が浸透し、このように最も弱い立場の人々を救済する菩薩であることが、地蔵菩薩をさらに身近なものへと変えて行きました。そしてこの時代に、子安地蔵、水子地蔵、田植え地蔵、六地蔵など、全国各地に伝承の地蔵菩薩が誕生します。

中でも一番大きな信仰を生み出したといわれるのが、有名な昔話「笠地蔵」に登場するお地蔵様である、「六地蔵」です。ではその六地蔵がいったいどのような地蔵菩薩であるのかといえば、「六道能化の地蔵菩薩」の略称であって、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人道の六道輪廻に迷いやすい私たちを、六種それぞれの世界で救ってくれる六体の地蔵菩薩のことになります。京都や江戸では六地蔵信仰に基づき、六つの街道の入り口に地蔵菩薩を安置し、災難や疫病から都を守りました。

とても身近なところにある「お地蔵様」ですが、最近都会ではその姿を見ることが減ってきています。それでも、変わり行く街並みの、小さな一角に祭られた地蔵菩薩を見たのであれば、ぜひともお参りをしましょう。とても親しみの湧いて来るお地蔵様であっても、お参りする時にはそれなりの作法を忘れないように。手を合わせ心の中で三回、もしくは七回、地蔵真言「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」を唱えましょう。「類まれなる尊いお方」という地蔵菩薩への讃歎の気持ちが込められています。