念写

念写のイメージ

念写とは、通常であれば撮影されていないものを念の力によって写真画像として写し出す超能力のことです。20世紀初頭、まだカメラが一般層に浸透していなかった頃、写真を撮影する際には「写真乾板」というガラス板を使っていました。これは感光物質をガラス板に塗布したもので、日本では頃までこの乾板を用いた写真撮影が一般的でした。乾板カメラは大変かさばり、重く、衝撃に弱いこともあり、ロールフィルムが浸透するにつれ廃れていきました。念写の研究や実験が行われたのはそれ以前、乾板カメラが主流だった時代となります。

福来博士の念写研究

初の念写が行われたのは。日本の学者である福来友吉博士が超能力研究の最中に発見しました。福来博士はもともと東京帝国大学(現・東京大学)の助教授でしたが、超能力研究に没頭し、学者筋からのバッシングを浴び、最終的には大学を追放されてしまいます。その後も福来博士は心折れることなく、自らの研究所を開設し、超能力の研究を続けました。とりわけ博士が関心を傾けたのが念写で、さまざまな超能力者の協力を受けながら、生涯にわたり念写に挑戦し続けました。

二人の女性超能力者

頃。当時の日本をにぎわせていた超能力者に、御船千鶴子長尾郁子という二人の女性がいました。二人は透視能力を持っていると言われ、それに目を付けた福来博士は両名の協力の下、さまざまな超能力実験を行いました。当初、二人のうち、御船千鶴子の方が能力的に秀でていると思われました。ところが、透視実験の一環として「未現像の乾板を透視してその結果を言わせてから現像する」という実験を行ったところ、長尾郁子が大変高い的中率を出し、また同じ画像がないはずの撮影乾板に「かぶり」を出しました。博士は長尾郁子に念写の能力を垣間見て、様々な実験を重ねました。それから長尾郁子の念写の力は日増しに高まっていきましたが、博士と二人の超能力者は、超能力否定派の学者や新聞社から猛烈なバッシングを受けることになります。批判的な新聞記事を読んだ長船千鶴子は大変なショックを受け、それからしばらく後に服毒自殺をしてしまいます。そして長尾郁子も実験を拒否するようになり、その後肺炎で急逝してしまいます。

「透視と念写」出版、大学追放

長船千鶴子と長尾郁子という二人の超能力者がこの世を去った後も、博士の念写研究は続きました。博士の弟子筋にあたる催眠術者の高橋宮二が妻の高橋貞子を指導し念写を成功させ、その後博士の研究に参加。第三者立ち合いの下で念写実験を成功させました。これを受けて博士は自らの研究成果を著し「透視と念写」という本を出版。しかし博士自身が在籍していた東京帝国大学から警告を受け、それでも主張を曲げなかった博士は、ついに大学を追放されてしまいます。その後の博士は仏教系の学校で校長や教授を務めながら、禅やオカルト思想の研究に傾倒することになります。宮城県仙台市に「福来心理学研究所」を設立し、超能力や念写の研究を続けました。

三田光一が行った「月の裏側の念写」

福来心理学研究所で超能力研究を続ける福来博士には、三田光一という超能力者が協力していました。三田は幼少時から不思議な能力を持つ少年として有名で、博士と出会うより前にすでに超能力者として活動していました。その後、念写研究の第一人者である福来博士と出会い、二人は協力し合うことになります。博士と三田は数々の念写を成功させたと言われています。中でもの「月の裏側の念写に成功した」という報告は世間の物好きを騒がせ、話題となりました。しかしにソ連の月探査機ルナ3号が月の裏側の観測に成功し、そのデータと照らし合わせた結果、全く似ていないことが判明してしまいました。

福来博士は生涯に渡り念写の研究を続けましたが、世間からペテン師扱いされ、、妻に看取られながらその生涯を終えました。博士が挑戦し続けた念写は果たして本当に成功したかどうか、その真相は誰も知りません。その多くはイカサマだったとも言われていますが、オカルトマニアの間では「福来博士は本当に念写に成功した」と信じている人も少なくありません。