依り代
依り代とは
神や霊は多くの場合、姿かたちを持たないため目で見ることはできず、触れることもできません。しかし、信仰や祈りの対象として、見て触れることのできるものが必要とされることもあれば、自然崇拝の考え方の中ではあらゆるものには、初めから神霊が宿っているとされることもあります。このように、神霊を内在する姿かたちを持ったものが、広義で依り代と呼ばれています。
古代から日本には、「すべてのものに神霊が宿る」という考え方があります。これに従えば、森羅万象のすべてが依り代であるということもできそうです。また、祭りや信仰の対象として、人が神霊の存在を求めた結果として存在する依り代もあります。その場合は、樹木・石・人などの自然物や御幣・神輿などの人工物が特別に選ばれ、神霊が降臨して憑依する媒体として用いられることもあります。
目印としての依り代
依り代はその目的に応じて、さまざまなものが選ばれます。祭りの時に一時的に神が降臨する場所としての作られる依り代は、神がその場所を認識しやすいように目立つ印を持っています。たとえば「天道花」は春に咲く花を竿の先につけて庭先に立てることで、田の神の降臨を促す春の神事、「バレン」や「ほいのぼり」は山笠や神輿の上につける華やかな飾りであり、先端に御幣を立てることで目印の依り代の役割を持ちます。いずれも、より高い位置に華やかな飾りをつけることで神の降臨を促します。また、より高くそびえる木や山がご神木や霊山として扱われるのも、神にとって目印になりやすいためです。
生活に密着した依り代
自然崇拝の考えによれば、道端に生えている雑草も目に映ることさえほとんどない小さな虫も、自然に体に取り込まれている空気も、全てが依り代だということもできます。そういう意味では、依り代とは非常に身近に神霊の存在を感じ取ることのできるものなのです。また、人によって作られたり考え出されたりした依り代の中にも、人の生活の中に溶け込んでいるものがあります。神棚・祠・お守り・お札・注連縄などはその代表的な例です。
世の中にあって人々に広く知られている点では身近な依り代と似ていますが、より多くの人々の崇拝対象となる有名な依り代もあります。たとえば、「富士山」は日本一の高さを誇り世界遺産にも登録されている観光地ですが、日本随一の霊峰でもあり、神が住むとされる依り代でもあります。また、各地の神社や山で見かける注連縄を巻かれた依り代である「ご神木」の中にも、伊勢神宮の神官杉や屋久島の縄文杉のように広く知られているものが多くあります。
人が依り代になる例
神霊はものだけでなく、人に依ることもあります。人の依り代は依り巫(よりまし)とも呼ばれ、女性の場合には巫女、子どもの場合には尸童(よりまし)と呼ぶこともあり、いずれも神の意思を伝えるための憑依体としての役割を果たします。また、祭りの際に神楽を演奏したり踊ったりすることで神の降臨を促すこともありますが、この場合は楽器や演奏そのものと演奏者や踊り手が依り代となります。さらに、人のかわりに人形(ひとがた)を使って同じように依り代にすることもあります。
日本人の持つ、自然に脅威を感じて崇拝する自然崇拝や森羅万象に神が宿るという考え、生活を豊かにしてくれる物に対する感謝や愛情などが統合されて、私たちはさまざまなものを依り代として神につなげて見るようになったと考えられています。何気なく積み上げた石、目を奪われる美しい景観、愛着を持って使い古した道具など、ありとあらゆるものに神は宿る可能性があるという考え方は、物や人を通じて神と近づきたいと願う人々の心の現れといえるでしょう。