死神

死神とは

死神のイメージ

人の一生は「生」に始まり「死」に終わると考えられています。この死の場面に関わる神様が、死神と呼ばれる存在です。ただし死神は、それを口にし、イメージする人が持つ信仰、宗教、伝統などの文化によって捉えられ方が大きく異なります。

死を司る、または死後の霊魂を管理する存在として、日本に限らず広く世界で認識されています。死神が、人を含めたあらゆる生き物に死をもたらすことは確かですが、だからといって苦しみや悲しみといった悪や負の部分ばかりを持つわけではなく、死の苦しみから解放すること、霊魂が現世で彷徨い続けることや悪霊となることを防ぐという良や正の部分も持ちあわせています。死神とは生き物にとってのあらゆる死をそのまま擬人化した存在ともいうことができます。

由来と役割

実は、古代文明にも死神が存在していました。その多くは各文化の神話の中に登場し、人を含むあらゆる生命から命を奪いとる悪の部分や生の苦しみから解放するという良の部分のどちらか、または両方を持ちあわせます。死神のイメージの誕生は、病魔や悪霊などが取り憑いて生命を奪っていくことに対して無力でなすすべのなかった人が、そこに神の存在を感じ取ったことに関連しています。人知を超えた死を神の仕業と考えたわけです。

人は死神に「死の苦しみをもたらす神」であると同時に「死の苦しみから救ってくれる神」という役割を与えました。そのため、死神は、死期が近づいた人のもとに現れて死の訪れを告げ、現世とのつながりをすっぱりと断ち切る助けをし、その魂を死の世界へと導いて管理するとも考えられています。また、農産物の生成や輪廻転生の理念を持つ地域では、死神が死の後の再生(再び生を得ること)をも司る神として崇拝されてきました。

死神のビジュアルイメージ

黒のローブで体のほとんどを覆い、顔にあたる部分にはドクロまたは漆黒の闇、体もまた白骨または闇としてイメージされることが多いようです。魂を刈り取るための鎌を手にしていますが、鎌は身の丈以上の大きさである場合もあれば、小さな草刈り鎌程度である場合もあります。また、宙に浮いた状態で音を立てずに移動したり、白骨化かミイラ化した黒い馬やその黒い馬がひく馬車に乗っていることもあります。これらのイメージは、12世紀の黒死病(ペスト)が流行した時の恐怖を表現した「死の舞踏」という絵画から民衆の間に広まっていったのではないかと考えられています。

海外と日本における死神

エジプトでは、半獣半身のアヌビスとオシリスとが死神に近い存在として古代から存在していました。墓の周囲を徘徊する犬やジャッカルを、死者を守る存在として捉えたことがアヌビスの誕生につながり、生産の神オシリスはエジプトの王として法律を導入したことから、その死後には冥界の王となって死者の罪を測り裁く役割を持ちました。また、ギリシャ神話では、死を神格化したタナトスが人の魂を冥府の支配者ハーデースのもとへと連れていくとして、両者が死神として認識されています。ヨーロッパ各地や南米などにも、死を司る神にまつわる伝説が残されています。

日本にも死を司るとされる存在があります。神話ではイザナミが人に死を与えたことから、死神としての役割も持っていると考える説があります。仏教においては、人を死にたくさせるという死魔や冥界の閻魔や鬼などが死神にあたると考えることがあります。一方では、無神論的な考え方から、死神は存在しないという見方もあります。ただ、死神という言葉や概念は西洋からもたらされたものです。日本ではイザナミや閻魔らがそれぞれに別々のイメージで表現・認識されていて、死神という統一されたイメージはありませんでした。現在の日本で広く死神として認識されている姿は、西洋の死神の姿です。

近代文化における死神

日本で死神という言葉が使われたのは、江戸時代の落語『死神』が最初だったといわれています。これはヨーロッパの説話が原案だったそうです。後になって、日本に死神という呼び名も、そのイメージも西洋風に定着していきます。その結果、近代から現代の文学やサブカルチャーなどの大衆文化の中に登場する死神は、その概念も性格も西洋風の死神を基礎としています。しかし、外来のものであることからオリジナルの文化を持つ西洋における死神よりも多種多用にアレンジされる傾向があり、多くの分野で人気の題材として使用されています。

死神は伝説上の神であり、人にとって重要な役割を担う存在です。多くの場合、死神は最高神に次ぐ高位の神であるか、最高神の化身であるなど、その存在意義は高く評価されます。穀物や生き物など、すべての生あるものが必ず死を迎えます。多くは再び生を得たいと望み、中には実際に再び生を得るものもあります。そのため、生と死は隣り合わせであり、死は必ずしも悪や負ではないとの考えが生まれたのです。それでも、死は常に生者にとっては恐怖の対象となりがちであり、同じ理由から死をもたらす死神も恐れるべき存在として認識されることが多いのもまた事実です。