ゴミソ
ゴミソとは
日本各地に残るシャーマニズムには、その土地が持つ霊的な力が大きく関係しています。アイヌのトゥスクル、沖縄のユタやノロ、東北・恐山のイタコなどが知られていますが、これらはみな、その土地の宗教や信仰に深く結び付き、神や霊と人とを結ぶ働きをしています。また、これらの有名なシャーマン以外にも、より地域密着型のシャーマニズムを背景とするシャーマンもいます。そのひとつが「ゴミソ」です。
ゴミソは、ある日突然、神が降りて憑くことで誕生するとされています。生まれつき霊的な能力を持っていたり、家系に巫女的な要素を持っていたりという遺伝や血筋、性質は関係しません。ごく普通の人が「自分に神が降りたこと」または「自分自身が神となったこと」に気付き、ゴミソとなるのです。そのため、ゴミソになりたいからと修行をしても、ゴミソになることはできません。ただし、ゴミソとなった人がより優秀なゴミソになるため、言い換えればより神としての力を発揮できるようになるための修行は、常に行われています。
ゴミソは自身が神であるとされるものの、その本質は人ですから万能ではありません。その能力は修行によって研ぎ澄まされ、強くなることもありますが、できることは限られます。一般的にゴミソにできると言われているのは、憑きものを払うこと(除霊や浄霊)、病気の治療を助けること、神への祈祷を通じて占うことなどです。
ゴミソとカミサマ
ゴミソという呼び名は、一部で蔑称ともされることがあり、近年は「カミサマ」と自称・他称することが多くなっています。神と漢字にすることは避け、より身近な存在であることを示すようにカタカナでカミサマと記述します。両者はほぼ同じものを指しますが、カミサマのほうが少しだけ範囲も広く、ゴミソだけではなく地域で巫女的な役割を持つ人や、知恵深く未来を見通す能力を持つ長老なども含むことがあります。つまりゴミソは、カミサマの一例であるともいうことができるでしょう。
ゴミソと赤倉
トゥスクルやユタ、イタコなどがそれぞれに中心となる地域や神聖だと考える土地を持つように、多くのゴミソにとっては赤倉が霊場とされています。赤倉は、青森県岩木町内の古くから霊山として信仰を集める岩木山の麓に位置していますが、岩木山神社のように日本全国から広く信者を集めるのではなく、ゴミソが修行し、ゴミソを必要とする人だけが訪れるのが赤倉です。観光地化されていないので、観光客の姿はありません。
赤倉霊場と呼ばれる地域には、神仏が混在する霊堂や付属施設が点在しています。赤倉では古くから修験が行われてきましたが、ゴミソやカミサマが訪れるようになったのは大正時代からだと考えられています。修行の中心である赤倉山神社は、ゴミソであった一人の女性が神の天啓を受けて建立し、それをきっかけに多くのゴミソやカミサマが集まるようになり、霊堂が数多く建てられました。それが昭和30年から40年頃のこと。現在はこの地が国有林であることから新しい建築物の建造は許可されていないため、古い霊堂でゴミソたちが小さな集落を作って暮らしている状態です。また、ゴミソやカミサマは後継者を持たないため、朽ち果てるままに放置されている霊堂もありますが、新たなゴミソによって継続的に守られている霊堂もあります。
ゴミソとイタコの違い
地域的に近いこともあり、ゴミソとイタコはお互いによく比較されています。ほぼ同じものだと考えられていることもあるようです。しかし、両者にははっきりとした違いがあります。ひとつは、ゴミソは神や霊からの天啓を受けることをきっかけに突然ゴミソとして目覚めますが、イタコは師匠を持ち修行を行い許しを得ることでイタコとなります。また、ゴミソは自身が神または神に憑かれた者として神の言葉を語りますが、イタコは霊媒として神や霊の言葉を伝えるにとどまります。さらには、ゴミソは不幸な体験や試練を経験した人が多いものの、イタコのように盲目などの身体的な特徴は持ちません。さらに両者ともゴミソやイタコとなった後も修行を行いますが、その修行の形が異なっています。ゴミソは一人で山を彷徨い祈祷を続けるという孤独な方法で、イタコはイタコの師匠や仲間に受け継がれてきた方法に沿って見守られながら修行を行うのが一般的です。イタコはこうして弟子に伝えることによってその能力が受け継がれていくため、近年はその人数の減少が案じられています。一方でゴミソは、これまでもこれからも同じように増えることも減ることもなく現れると考えられます。
有名なゴミソ
現代になっても、ゴミソは新しく誕生し続けています。ゴミソの多くはごく少数の必要とする人の間だけに知られる存在ですが、中には、広く世間に名を知られるゴミソもいます。先に述べた赤倉山神社を建てた女性である「工藤むら」は、その死後に「カミサマ」から「神」へと変わって赤倉で祀られている有名なゴミソです。ほかにも、テレビや雑誌といった媒体でも取り上げられたことで広く知られるようになったゴミソとして、青森在住の女性「木村藤子」も「木村のカミサマ」として活動しています。
古く大きな家系や集落に必ず一人はいた「カミサマ」的存在。それは、一族や集落を豊富な知恵、祭祀や祈祷などを通して守り続けてきました。カミサマでもあるゴミソは、民間信仰における神と人の距離の近さを伝える存在であり、気軽に頼ることのできる身近な神そのものでもあるのです。