神憑り

神憑りとは

神憑りのイメージ

神または限りなくそれに近い存在が、主に人に対して、降り宿る状態を「神憑り」と呼びます。状態だけでなく、神霊が宿った人を「神憑り」と呼ぶこともあります。さらにはそこから転じて、人の想定を超えるような出来事が人の身に起きた時、それを「神憑り(的)」と称することもあります。

神霊が人に乗り移り、神の意志を伝えることを神憑りと言いますが、この時、神霊自身の意志で乗り移ることもあれば、人によって呼ばれて乗り移ることや、偶然的な事象として乗り移りが起こることもあります。また、神憑り状態となる人は、自分が神憑りになっていることを認識していることもあれば、まったく認識していないこともあります。神憑りによって得られる神託は、あくまで神の言葉であり、それが人の求める答えであるとは限りません。

神憑りの例

神官、巫女イタコゴミソ、ユタ、シャーマンなど、神憑りによって、神霊の言葉を伝えるとされる例は数多くあります。それぞれに降るとされる神や霊が異なったり、神憑りの方法、状態、神憑りによって得られる神託の種類などもまた異なります。さらには、悪魔憑き狐憑きなども、ある種の神憑りと捉えられることもあります。

神憑りは、神が依代となる人の下に降り、そこに一時的に宿って、人へのメッセージを伝えるものです。世の中には、多くの神憑り事象が報告されていますが、その中には、神憑りなのかどうか怪しいものも少なくありません。なぜなら、一般人には神憑りが起こっているかどうかを完全には見極めることができないからです。そこを狙い、ニセモノの巫女が現れ、嘘の神託を告げるという詐欺例も多くあります。また、神憑りによく似た症状を見せる精神病患者を利用して、神憑りであるとする例もあります。巫女などが神憑りのフリをする前者と違い、後者の場合は精神病患者などが無意識で行っている言動であるために、それを見て神憑りだと信じる人が多く、本物の神憑りとの判別もつきにくいといわれています。

世の中で神憑りとされている事象の多くは、医学的には精神疾患の一種と判断できるものもあるとされています。神に憑かれた状態を狂気と捉えて、時には治療によって改善されるという考えもあります。また、二重人格(多重人格)などと神憑りを混同しているという説もあります。ただ、医学的に明らかに「病質」として判断できるものばかりではなく、その境界線は非常にあやふやだというのが定説です。

現代の神憑り

神憑りはいつでもどこでも誰にでも起こりうる事象ではありません。神が降りやすい時節があり、神聖な場所、浄められた依代(人)が必要です。同じ状況を作り出しても、毎回神憑りが成功するとはかぎりません。

古くは、人と神はより近く、互いの存在を感じあって生活していたため、神憑りを実際に体験したり、直接目にしたり、詳しい話を聞いたりといったことが、身近に起こっていました。ところが、現代は多くの神憑り儀式が形骸化しつつあります。例えば、時節が暦の都合で変更され、場所は集う人の都合で移され、依代となる人間の選択がいい加減となり、十分な浄めの儀式も行われないという状況が増えているのです。そのため、神社などの本来あるべき場所で行われる神聖な儀式を神憑りとして認識することは減り、神憑りは人知れない場所でひっそりと行われている儀式であり事象であるという印象が強くなっています。

神憑りは、神霊が人のところまで降ってきてメッセージを伝えるという、非常に神聖な儀式です。メッセージを受け取る人の側では、神霊を迎えるために十分な準備が必要であり、与えられたメッセージである神託を厳かに受け取り、それに従う必要があります。日本各地に残る多くの神事では、この神憑りを行ってきました。先に述べたように、今では形骸化してしまったものもありますが、中には古くからの正しい神憑りを行っているものもあります。正しい神憑りは、実際にそれを直接目にしてみることで、感じ取ることができるものです。逆に言えば、精神を揺さぶられるような感覚を得ることのできない儀式は正しい神憑りとはいえないということもできそうです。