呪いの代償
呪いの代償とは
妬み、羨み、恨み、呪うなどは、人が持つ独特の感情です。これらの負の感情は、全く持っていないと言い切れる人がほとんどいないように、負の感情が振り切ってしまい、実際に呪いをかけるところまで達する人も多くはありません。呪いという負の感情を抑えるもの、それが、呪いには必ず「代償がつきもの」であるという認識です 誰かを呪うという行為は、心の負の動きです。小さな妬みや恨みであれば、それをステップアップなどのバネとして転化することも可能であり、必ずしも無意味で無用なものとは言い切れない部分もあります。ただし、呪う感情が大きくなりすぎた時には、心も体も呪いの感情に巣くわれてしまい、負のエネルギーで満ちてしまいます。負のエネルギーは、呪いの対象である外側に対しても影響を与えますが、同時に内側にも大きく影響します。すなわち、誰かを呪えば、その呪いと同じか、時にはそれ以上の負のエネルギーを自分自身も受けることになるのです。これが呪いの代償といわれる現象です。
呪いは一方通行ではない
健康になりたい、良縁に恵まれたいといった、正のエネルギーの強い願望をかなえるための祈祷や呪術の多くは、その人の真摯な態度や祈祷などに対して、神や神霊などが応える形で願いを叶えてくれる、そしてそれに対して再び祈祷などで感謝を伝えるという流れを持ち、ここには人と神の双方向のやり取りが存在しています。呪いの場合も同じように、祈祷や呪術などで呪いをかけると、霊や魔の力が、恨みを晴らしてくれます。そしてやはり、その代償は支払わなければならないのです。神や神霊は、感謝という人の心の中の正のエネルギーを受け取ることで、それを礼としますが、悪霊などの場合には、呪いに対しては呪いによってその支払いを求めてきます。そのため、誰かを呪うという行為は、決して一方通行ではなく、必ず自分もとにも返ってくるのです。
呪いの代償の例
呪いの代償は、本人が気づかないほど些細なことである場合もあれば、自分自身やその家族や恋人などの命にも関わる重大なものまで、さまざまです。些細な例では、呪いの心を持つことによって、思考がマイナスに偏り、精神的な疲労や苦しみを味わうこと、鬱状態になることなどが考えられます。また、呪いの感情が増幅されるこの状態が悪化し、それが体調悪化に結びついていくこともあり、体重の極端な増減、胃腸の不調、強い頭痛や肩こりなどの発生も記録されています。ただ、これらはまだ呪いが呪う相手を大きく苦しめてはいない段階に起きる比較的軽い代償です。相手の大失敗、相手の健康や命などを狙った呪いをかければ、その願いが叶うその段階に合わせて、自分自身も同じかそれ以上の代償の支払が求められます。また願いが叶った暁にもまた、それに見合う代償を支払う必要があります。それは、実社会のように、お金などで代替支払ができるものではなく、ケガにはケガで、病気には病気で、命には命で支払うような重く大きな代償となることが多いでしょう。
呪い返しとは
呪い返しには二つの意味があります。一つは、自分に向けられた呪いを跳ね返すための術です。もう一つは呪いの代償の代表的な現象であり、自分が誰かにかけた呪いに対する代償を受けずに済ませる、または最小限にとどめるために行う術のことです。前者は、不幸や不運が続く、体調不良などのほか、霊能者などの指摘によって、自分に呪いがかけられていることに気づいた時点で、祈祷師や呪術師、霊能者などに依頼して呪いを跳ね返す術を施します。これによって、呪いをかけられた人はその被害を最小限に防ぐことができますが、逆に呪いをかけた本人はその呪いを返されることで、本来相手に与えるつもりだった不幸や不運をその身に受けることになり、それは時に倍返し的に大きなものにもなります。また、呪った人は、この呪い返しを受けなくても、誰かを呪ったその時点で、呪いの代償を支払う必要があります。その代償を最小限に抑えるために行うのが後者の呪い返しです。呪いをより強い呪いで封じ込める方法なので、非常に強い力を持つ専門家の助けが必要となりますが、用意周到なタイプは呪いの代償を受けることなく相手を呪うことができるこの方法を選ぶことが多いようです。
呪いは、一方的な思い込みから生まれるものもあれば、呪って当然とも思えるような理由があるものもあります。ストーカー的な思い込みから生まれる呪いで呪われた時には、呪われた側にとってはとんだ災難といえます。早々に呪い返しを検討すべきでしょう。ただ、自分に大きな苦しみを与えられた相手に向ける呪い場合には、相手を呪った分、自分もまた不幸になるのでは不公平だという考え方もあります。そのため、あらかじめ自分の呪いの代償からできる限り逃れるための呪い返しを行いながら、憎い相手への呪いの呪術を行うという方法を取る場合もあるのです。ただし、呪いという成果は本来必ず代償という支払との組み合わせで存在するものであり、完全に逃れることはできません。人を呪う時には、呪いの代償の大きさについて十分に考慮する必要があるでしょう。