歩き巫女

歩き巫女とは

歩き巫女のイメージ

そもそも、巫女(みこ)とはどのような存在、立場の人を指すのでしょうか。昨今では、神社の授与所や社務所で参拝者に対して接客をしていたり、あるいは神社関連の書き物をしていたりといった、いわゆる神職のサポートとした若い女性の仕事(役割)としての姿が思い浮かぶことでしょう。特徴的な朱色(緋色)の袴姿は、境内の遠くからでもとても良く目立ちます。もちろん、神事において神楽を舞う巫女もいますが、どうしてもアルバイト雑誌などで募集されるのを見るにつれ、初詣の接客業としてのイメージが先行してしまうものです。

歩き巫女とは

かつての巫女とは、政治的な面からも宗教的な面からも、とても大事なポジションにいた存在とされています。なにしろその本来の役目が、自身の身に神様を降ろして神託を告げる依り代としてですからいわば神様の使い、メッセンジャーと言うわけです。その巫女の中の一形態に、歩き巫女と呼ばれる存在があります。

歩き巫女とは、文字通り各地を歩き回る巫女のこと。今の巫女は普通、ひとつの神社に属して活動をしています。少し手を拡げて、その神社(本務神社とも言います)の宮司が兼務している兼務社、あるいは地域の無人の神社(管理社)などの神事に出向いて宮司のサポートをすることはありますが、たいていは特定の神社に所属して奉仕しています。ですが歩き巫女は所属する神社を持たず、それこそ日本全国各地を遍歴して、頼まれた神社で祈祷を行い、託宣を継げて、お祓いを行うのです。

歩き巫女の活動

令和の現在、日本各地の神社は神社庁が管理(中には神社庁に属さない、いわゆる単立の神社もありますが)をしています。そのため、神社界のフリーランスとも言える歩き巫女として活動している巫女は、存在していないのが現状です。ではかつては、歩き巫女はどのような活動をしていたのでしょうか。

前述の通り、各地を転々として祈祷、託宣、勧進などを行い、その行為によって料金を受け取るのが歩き巫女の活動や収入でした。もっとも、その多くは基本的に、かまど祓いと呼ばれる民家のかまどのお祓いだったそうです。毎月の末に家々を回り、かまどを清めること(荒神祓い)が収入になったとされます。巫女として専業だったわけでもなく、旅芸人や中には遊女を兼ねて生計を立てていた歩き巫女も存在したとされています。

今でも霊媒師が託宣の際に用いる梓弓を使う梓巫女や、熊野信仰を各地に布教した熊野比丘尼と呼ばれる巫女なども知られています。中には信濃巫女(信濃巫)のように現在の長野県を拠点として各地に出歩き諏訪信仰を広めたとされる巫女おり、実は巫女であり忍者(間者)でもあり、諜報活動をしていたとされる歩き巫女もいたようです。