人柱
人柱(ひとばしら)とは
人柱(ひとばしら/じんちゅう)とは、建造物を建設する際に生きた人間を壁や土台に埋めることです。古来の日本の風習で、城や堤防、橋などの大規模建造物を作る際に人柱を使用してきました。ご神体や神像を数える助数詞である「柱」を人間へ使うのは、人柱となった人々を敬い崇める意味が込められています。
人柱が始まった時期は諸説ありますが、すでに飛鳥時代には人柱の建造物が存在しました。大阪北区にある大阪市北区本庄東と大阪市東淀川区柴島をつなぐ「長柄橋」は、推古天皇の時代に長者の男性が人柱となった伝説が有名です。神の加護を得るための人柱の思想は、江戸時代まで続いたとされています。
人柱の目的
人柱の目的は、神のご加護を授かるための工事の安全祈願です。建設場所の穢れや難を払い浄化することで、人災や自然災害を未然に防げるとされていました。 また、人柱は天からのお告げにより選ばれたという説があります。神の領域である自然界へ人工的な建造物を作る行為は聖域の侵害であり、神の逆鱗に触れると考えられていました。神の怒りによって災いが起きないよう怒りを鎮静する目的で、天から選ばれた人を人柱の生贄にしたと言われています。
どのような人が人柱に選ばれるのか
人柱に選ばれる人は、神のお告げにより決められたと考えられています。特に若い女性と巫女が人柱になったケースは少なくありません。
若い女性
人柱には若い女性が選ばれる風習がありました。特に美しい女性ほど神の加護を得られると考えられており、盆踊りで華麗に舞う女性が人柱として選ばれたのです。
たとえば、島根県の「松江城」には踊り子の人柱伝説があります。「松江城」は築城の際に石垣の工事で難色を示しており、築城の成功を神へ懇願し人身御供を行う計画を立てます。築城は盆の時期であり、松江城の築城に携わった堀尾吉晴の家臣たちは、最も美しく盆踊りを踊る若い女性を人柱にすると決めました。そして、美しい少女が生贄となったのです。
岐阜県の「郡上八幡城」は、「およしの伝説」が語り継がれています。城の改修で工事が難航した際に、百姓の娘である17歳の美しい「およし」が人柱として選ばれます。およしは大木の運搬を不思議な力によって助けた噂があったことから、神へ捧げる人として適しているとされたのです。いずれの伝説も事実は不明ですが、若い女性の人柱の伝説は全国に分布しています。
巫女
人柱として、巫女に白羽の矢が立つケースも少なくなかったようです。巫女は神に仕える女性として神楽を舞い、ときには占術や神託によって、死者や神霊と交信する役目を果たしていました。霊的能力が高く神に仕える者であるため、神の加護を得られる人柱として適任とされたのです。
茨城県の桜川にある「女堰」には、巫女の人柱伝説があります。堰の修繕の際に水の勢いが止まらず、巫女が占うと人柱が必要だというお告げがでました。村民はその巫女を人柱にして水害を止めたと言います。
また、2019年に公開されたアニメーション映画「天気の子」では、晴れ女の特殊能力をもつ少女が主人公として描かれています。少女の類まれな能力によって、雨による天災から街が救われる物語です。この物語が古来日本に存在したとされる、天候を操る「天気の巫女」の人身御供がテーマだと考察する人も少なくありません。
志願する者
人柱の多くは神のお告げや村人たちにより選ばれてきましたが、自らが人柱へ名乗り出る場合もあります。有名な建造物が青森県の「福田宮堰神社」と熊本県の「百太郎堰」です。
「福田宮堰神社」の人柱伝説は、安土桃山時代から江戸時代初期にさかのぼります。当時、藤崎堰の水害が頻発していました。多大な労力を駆使し修復を続けましたが収まる気配がありません。そこで、津軽の平民である堰八安高が町を救済するために津軽藩に申し出て、1609年に自らの命を犠牲に工事へ貢献したと言われています。その後、堰八安高を祀るために、「福田宮堰神社」を建造して霊を鎮魂しました。社殿には太郎左衛門が人柱となる場面を描いた絵が奉納されています。
宮崎県の「長千代丸祠」にまつわる人柱伝説は1428年頃のことです。当時この地を治めていた壱岐加賀守義道が、現在の稚児ヶ池である「鶴の池」を造ったところ、頻繁に池が氾濫し水害が起こりました。困り果て石貫大明神へ占ってもらったところ「鶴の池には古くより白黒2匹の大蛇がいたが、悪事を働くため神が懲らしめて池の底に埋めた。大蛇の祟りを鎮めるには人柱を立てよ」と神託が下ります。家臣の息子である14歳の長千代丸が、「明日池の端を通りかかる、浅葱色の着物を着た者を選びましょう」と提案します。そして翌朝、浅葱色の着物を身につけた長千代丸が現れ、人柱を志願したとされています。