蘆屋道満

蘆屋道満とは

蘆屋道満のイメージ

陰陽師という職業が世の中で重要な位置を占めていた時代、今でもよく知られている安倍晴明をはじめ多くの優秀な陰陽師が活躍し、政治にも影響を与えていました。そんな陰陽師の中に蘆屋道満(あしやどうまん)という有能な呪術師がいて、彼が残した逸話の数々は現代にまで語り継がれています。

蘆屋道満は、播磨の国、今の兵庫県出身の民間陰陽師だといわれています。非常に強力な呪術力を持っていたとされ、その片鱗は幼いころから備わっていたそうです。蘆屋道満は積極的に身を立てようと働きかけることがなく、その特殊能力を主に近隣の人々のために使っていたと伝わっています。ただ、彼の播磨の国での行跡の多くは昔話として残ってはいても、確実な文献などは存在していません。陰陽師の公職である朝廷の陰陽寮に所属することもありませんでしたが、その能力の高さから陰陽寮の中心人物だった安倍晴明のライバルとして認識されていました。その結果、安倍晴明が仕える藤原道長に対抗しようとした藤原顕光の求めに応じて、安倍晴明と対決することにもなりました。

蘆屋道満と安倍晴明

蘆屋道満のライバルであり、蘆屋道満を破滅に追いやったとされるのが安倍晴明です。都における時の中心人物だった藤原道長に仕えていた安倍晴明は、道長を恨み追い落とそうとした藤原顕光によって雇われた蘆屋道満と対決することになります。この二人の対決は、さまざまな方向から記録され語り継がれています。そんな背景があるため、この二人は常に敵対し険悪な関係にあったという印象を強く持たれています。その印象をさらに強くする逸話に、安倍晴明が唐に渡っている間に、その妻と蘆屋道満が不倫をし、さらに蘆屋道満は安倍晴明が保管していた金烏玉兎集という術書を盗み見して術を磨き、帰国した安倍晴明を殺害したというものがあります。もっとも、安倍晴明は唐における師である伯道上人によって蘇生させられ、その後蘆屋道満を追い詰めて斬首することとなります。ただこれはあくまで伝説であり、人々の興味をそそるように脚色されたものです。そうは言っても、これに似た多くの伝説が残されていることから、蘆屋道満の生涯が安倍晴明のそれと深くつながっていたことは確かでしょう。

蘆屋道満と安倍晴明の対決

二人の陰陽師による陰陽術対決にはいろいろな逸話が残されていますが、最も有名なのは、政敵であり娘の病死の原因でもある藤原道長を追い落とそうとする藤原顕光の依頼で、蘆屋道満が藤原道長に呪術をかけたのを安倍晴明に見破られたという話でしょう。術を破られた蘆屋道満は、出身地である播磨の国に流されたといいます。また別の話には、蘆屋道満は長年のライバルだった安倍晴明に呪術対決をもちかけ、内裏で帝の与えたお題に沿って、長持の中身を占ったところ、蘆屋道満はその時実際に中に入っていたミカンの存在を言い当てましたが、安倍晴明は式神を使ってそのミカンをネズミに変えた上でネズミと答えて勝利を得たといいます。この逸話では、対決に負けた蘆屋道満は安倍晴明の弟子となったそうです。

蘆屋道満とゆかりの地

安倍晴明の晴明神社のような世に知られた現代の有名スポットは、蘆屋道満にはありません。それでも複数のゆかりの地があり、ファンや研究者の聖地となっています。その多くは、蘆屋道満の出身地であり、最期の地でもあるとされる播磨の国(兵庫県)にあります。中でも有名なのは、「道満塚」。兵庫県の西端の町、佐用町にあります。この場所は、安倍晴明と蘆屋道満が最期の直接対決をした場所とされています。ここには、この二人の碑が向き合うようにして建てられていますが、人気のある安倍晴明の碑は近くにお堂が立ち、観光客の多くが訪れるスポットになっていますが、対する蘆屋道満の道満塚は、碑そのものは立派な立ち姿を保っていますが、周囲にお堂も売店もなく、静かに林の中にたたずんでいます。もう一つは加古川市にある正岸寺の祠。この地は蘆屋道満が修行中に住んでいた場所であり、都での安倍晴明との対決を前に敷地内の井戸に式神を封印していったという話も残っています。また、これが対決の敗因となったとい説もあります。封印された式神は主である蘆屋道満の死後、毎夜火の玉となって空を舞っているといわれています。この寺には蘆屋道満の像が祀られています。

蘆屋道満と六芒星と九字

安倍晴明の五芒星は有名ですが、これに対して蘆屋道満は六芒星を目印として使用していました。六芒星は、二つの三角を互い違いに組み合わせることで調和を表しています。ユダヤ教における「ダビデの星」と呼んだほうがピンとくる人も多いでしょう。日本では「籠目(かごめ)」とも呼び、竹で編んだ籠の網目を図案化したもので、魔を閉じ込める意味を持っているとされます。童謡であり呪術儀式でもあるといわれる「カゴメカゴメ」にもつながっているという説もあります。また、この六芒星と関係あるものとして「九字」があります。これは、籠目と同様に4本と5本の直線で格子目を作り出し、たくさんの「目」によって魔を見張り、閉じ込めます。五芒星をセーマンと呼ぶのに対し、六芒星や九字やドーマンと呼ばれます。

蘆屋道満は、さまざまな分野で人気を集める陰陽師安倍晴明の対抗馬として、どちらかというと悪役扱いされることが多いようです。また、若々しく力強い安倍晴明に対して、蘆屋道満は醜い老人として描かれる傾向が強いのもその影響でしょう。しかし実際には、蘆屋道満の方が安倍晴明よりも30歳以上若いといわれ、中央で華やかなスター的存在だった安倍晴明に対して、蘆屋道満は地元密着型の親しみやすい呪術師だったともいわれています。作られた現代のイメージとは違う本物の蘆屋道満の姿は、古い文献やゆかりの地を訪れると伝わってきます。安倍晴明との対決で敗れ、さらに播磨の国に流された後にも追い詰められて死んだとされる蘆屋道満ですが、地元では好意的に評価されているほか、その子孫もまた呪術師・医師などとして地元のために働いたといわれています。