長南年恵
長南年恵は、明治時代に生きた超能力者・霊能者(霊能力者)として知られる女性です。、現在の山形県鶴岡市に生まれ、満43歳で亡くなりました。彼女がたびたび起こしていた不思議な現象が詐欺行為とされて、何度も逮捕された経歴があります。しかし、法廷内において人々の目の前で霊現象を起こしたことで、裁判長から無罪放免を言い渡されたと伝えられています。今日までの日本の裁判で、超能力を使って無罪になった唯一の事例として記録されていることで有名です。今回はこの長南年恵について、その生い立ちから生活、超能力、逮捕の遍歴など、彼女の人生について紹介します。
明治時代に生きた超能力者 長南年恵
長南年恵の名の呼び方は、「おさなみ・としえ」とも「ちょうなん・としえ」とも言われ、どちらも正しいとする説や「ちょうなん」が正しいとする説などはっきりしていません。さらに鶴岡市の戸籍によれば、本名は「登志恵」だとも言われています。彼女は、羽前国庄内高畑、つまり現在の山形県鶴岡市日吉町に、庄内藩士の長女として生まれました。伝えられているところによれば、彼女は人並み外れて無口で、母や目上の者に対しては極めて従順、その命令に背くようなことは一切なかったそうです。また非常に無欲で、誰かが欲しいと言えば、羽織やかんざしなどを惜しまず与えたとも伝わっています。年恵が11歳の頃、鶴岡に小学校が開校したものの、入学できずに子守奉公をしていたそうです。そしてその頃から、予言めいた言葉を口走るようになったと言われています。以後その噂を聞いた住民たちの、様々な相談に乗るようになっていったのでした。
長南年恵の超能力・霊能力
「万病に効く」という神水と呼ばれる霊水を、人々の目の前で満たすという超能力を多くの人の前で披露した年恵。実際、密封された空の一升瓶の中に、空気中から取り出した赤、青、黄など様々な色の神水を満たしたと伝えられています。この霊水を飲んだ難病患者の病気が治ったことから、たちまち「万病の薬」だと評判になります。一方、冷やかし目的で年恵の前に現れて神水をせがんだ者や、不治の病を患う病人については、神水は授からず空瓶のままだったというエピソードもあります。その能力は卓越しており、一度に一升瓶40本ほどの量を満たすこともできたそうです。彼女はこの霊水を引き出す能力の他にも様々な能力を持っており、特に遠方から何もないところへ物を引き寄せる能力に卓越していたそうです。その他、ポルターガイストや霊界の神仏との会話、トランス状態で踊ったりテレポーテーションしてみたり、様々な超能力や霊能力を見せたと言われています。
水のみで生きていた?
年恵には、その超常現象を起こした伝説の他にも、その生活や身体のことで非常に多くの不思議なエピソードが残っています。まず、35歳頃から生水と生のさつまいも以外は一切受け付けない体質になったという話。それ以外の物を飲食すると嘔吐・喀血してしまうのだそうです。しかしながら、驚いたことに身体は頑丈で肉付きもよく、非常に健康体であったそうです。また排泄物はほとんどなく、風呂に入らなくとも髪や身体はいつも清潔だったとも言われています。
3度の逮捕と裁判
彼女は万病を治す霊水を取り出すことができる、この話を聞きつけた人々が彼女の元に殺到してから、彼女は一躍世間から脚光を浴びることになります。そして、ついに「医師の資格なしに病気治療と称する行為を行った」という詐欺行為によって逮捕されることになるのです。と、このときは拘留されるものの証拠不十分で釈放されました。しかしに3度目の逮捕となり、に神戸地方裁判所で再審を受けることになります。この裁判では尋問が終了した後、ある大きな出来事が起きました。裁判長が密封して封印したという空き瓶に、「神水を充填させられるか?」と問い詰めたのです。それを聞いた年恵は、「少し集中する時間があれば可能」であると返したそうです。そして裁判中に身体検査が行われ、別室で精神集中をした後、裁判長によって密封された空き瓶に茶褐色の神水を満たしたのでした。これにより確かにその超能力を認めた裁判長は、彼女を無罪放免としたのです。この事実は当時の毎日新聞に掲載され、裁判の記録も神戸地方裁判所に残っています。
長南年恵の最期
法廷においてその超能力と霊能力を発揮し、その力を認めさせた歴史に残る出来事を残した年恵はその後、生まれ故郷の鶴岡へと戻り、43歳でこの世を去りました。死の2ヶ月前には、自身の死を予言していたそうです。この長南年恵について残る記録は、彼女の弟である長南雄吉によるものが多く、後に心理研究家である浅野和三郎がまとめています。
短い生涯の中で、その不思議な能力を発揮し、世に知らしめた長南年恵。その類いまれな生には、未だに多くの謎が残されています。