呪詛

呪詛とは

呪詛のイメージ

恨みの気持ちを胸いっぱいに抱えて相手の不幸を願ったところで、実際にはその不幸が現実化することはありません。しかし、特殊な能力をもってすれば、特定の相手に不幸を与えることが可能です。その方法のひとつが「呪詛」になります。呪詛という言葉を構成する「呪」と「詛」は、いずれも「のろい」と読むことができ、重ねて使うことでより強い呪いが発揮できることを意味しています。文字だろうと言葉だろうと、能力のある者が呪詛を用いれば、誰かを不幸に落とすことができます。

仕事や恋のライバルに対する恨みや嫉妬から、日夜「不幸になれ」と思い詰めたとしても、心の中で悶々とするばかりで相手に伝わることはありません。ところが呪詛を使えば、相手に災いを及ぼすことができるのです。ただし、呪詛はいつでも誰でもできるものではありません。効果のある呪詛を行うには、一定の方法や能力が必要とされます。

呪詛と祈りと祟り

古来祈りは、神や仏、霊などに、自分または誰かの幸や不幸を願って捧げられてきました。一方で呪詛は、誰かの不幸を祈ることに限定した祈りを指します。多種多様な祈りの中において、呪詛は不幸だけを願う方向にある意味偏ったひとつの負の形なのです。その流れからでしょうか、現在祈りと言えば幸せを意味し、呪詛と言えば不幸を求めるものとして広く別々に考えられる傾向になっています。

また祟りも呪詛と同じく、誰かに不幸をもたらす方法として知られています。ただし、呪詛は積極的に不幸を願う人(基本的に生きている人)の存在が不可欠であるのに対して、祟りは祈願者が存在しない、つまり亡くなっていてもその残った想念だけでも効果を発揮することも可能な、霊的な存在の意思によってもたらされることもある点で異なっています。

呪詛と呪術

呪術は「呪」の文字が入っているとは言え、神仏や霊、さらには自然などに対して祈ったり、未来を占ったりすることで、より良い生活や運命を得ようとする力のことです。その儀式や様式までも含めて指すこともあります。一見すると祈りによく似ていますが、祈りは特別な能力を必要とせず誰でもできるのに対し、呪術は霊的な能力を必要とする点で異なります。呪詛はその呪術の中の、自分の幸せのために相手の不幸を願う祈りまたは呪いの部分にあたります。そして、呪術師が誰かの不幸を祈る言葉が呪文であり、その儀式が呪詛なのです。

呪詛の例

もっともよく知られていて、かつ一般的な呪詛の例として「丑の刻参り」があります。これは、霊的能力を持たない普通の人が一定の儀式を行うことで、霊的な存在の助けを得て誰かの不幸を実現する呪詛です。また、多くの昔話や民話の中に現れる魔女が、王子や姫などにかける魔法も一種の呪詛です。眠れる森の美女では「100年の眠り」、白雪姫では「毒リンゴで仮死状態」という不幸が訪れます。また日本の源氏物語では、主人公の光源氏の心変わりを恨む女性が自ら生霊となり、後には死霊となって恋のライバルを苦しめたり死に追いやったりします。これも本人が意識していないとはいえ、呪う気持ちの強さが呪詛となった例といえるでしょう。

呪詛を行えば呪った相手を不幸にできるからと気軽に呪術師に頼んだり、自ら呪術を学んだりするのには危険が伴います。「人を呪わば穴二つ」という言葉があるように、呪術は強大な力を発揮するため、相手を不幸に追い落とすのと同時に、呪った本人をも巻き込んでしまうことがあります。誰かを呪い殺そうとすれば、その呪いは自分にも影響を及ぼし、墓穴は二つ必要になるとまで言われるのです。相手の死という究極の呪詛を行うには、自らの命を懸ける覚悟が必要です。

呪詛は、人を不幸へと追いやりたいという強い祈りと呪いのこもった行動や儀式、そして時には精神的活動として行われます。確実な効果をもたらすためには、大きな力を必要とするため、非常に力の強い呪術師や霊能力者の力を借りるか、本人の強靭な精神力と体力が必要とされます。多くの呪術師や霊能力者たちは、呪詛を行うことの危険性を熟知しているため、安易に呪詛を行うことはありません。素人が行うのはさらに危険であるといえます。