悪魔憑き

悪魔憑きとは

悪魔憑きのイメージ

悪魔に身も心も乗っ取られてしまい、自分の意志を失って、悪魔の思うままに行動するようになってしまう状態のことを悪魔憑きといいます。悪魔憑きになった者には、自分も周囲も巻き込むような破滅的な行動を行うという特徴があります。

悪魔という、多くの場合目に見えず捉えどころのない存在によって体を完全に乗っ取られ、多くの場合は心もまた乗っ取られてしまう状態ですから、悪魔憑きになると自分の意志は失われる、または悪魔の意志によって抑え込まれてしまって表現することができなくなります。たとえ姿や声などは変化しなくても、その言動は完全にもとの人格とは異なるものとなり、自分を含めた周囲を破滅へと導いていきます。

悪魔憑きと悪魔祓い

家族や友人がある日突然、まったく違う人格となって、周囲に対して攻撃的になったり、自殺を試みたりするようになると、悪魔憑きが疑われます。キリスト教ではこの段階で、医学的に詳細な検査を受け、それが病質ではないことを確認した上で、司教による認可を得て、エクソシストによる悪魔祓いの儀式を受けます。エクソシストによる悪魔祓いの儀式は、過去数千年に及ぶ歴史を持ち、現在も、不確かではあるものの、年間数千から数万という膨大な数が執り行われていえるとされます。

日本における悪魔憑き

日本の民間信仰では、狐や犬神などの霊的な存在に心身を乗っ取られるという現象が報告されてきました。これは、悪魔憑きのように必ずしも、すべてに対して攻撃的であったり、破滅を求める行動をとるとは限りませんが、やはり有害であるとして、隔離されたり悪魔祓いの儀式が試みられたりしてきました。また宗教的には、神や仏と敵対する存在としての悪魔が、人や動物、物などに取り憑く悪魔憑きの状態が認められ、それに対して修験者や陰陽師らが術を用いて悪魔祓いを行ってもきました。そして現在も、精神的な異常をきたした者や異常行動を繰り返すものを悪魔憑きと呼ぶことがあります。

キリスト教における悪魔憑き

キリスト教では古くから神に逆らう存在、退治すべき存在としての悪魔がいたため、その悪魔が人の心に入り込み、その体をも征服して自由に利用するという悪魔憑きの例が多く報告されています。悪魔憑きは、誰にでも起こり得るものであり、必ずしも信仰の深さや有無と関連しないとされています。ですがその一方で、不信仰こそが悪魔憑きの原因であるという根強い考えもあり、悪魔憑きであるというでっちあげや、それに伴う悪魔祓いの儀式によるリンチや殺人なども起きています。キリスト教では、現在でも悪魔は存在し、悪魔憑きもまた起こりうるとして、正式な資格の下に悪魔祓いの儀式をとりおこなうことのできるエクソシストが養成されているといいます。

悪魔憑きと科学

現代科学の世界では、悪魔の存在を認めず、そのため当然、悪魔に心身を乗っ取られるという現象も起こりえないとされています。いわゆる悪魔憑きの状態は、精神疾患として説明がつくというわけです。これには、多くの宗教団体も部分的に賛同し、悪魔憑きの認定や悪魔祓いの儀式に際しては必ず医師の事前診察や立ち合いの必要性に同意し、ルールとして定めています。しかし、臨床心理学者の中には、複数の悪魔憑きと思われる患者を診察した結果、科学では証明できない事実もあるとして、悪魔の存在、そして悪魔憑きの存在を引き続き研究対象としている人もいます。

科学の分野の進歩著しい現代でも、悪魔憑きとしか判断できない事例が多く存在しています。悪魔は取り憑く対象を限定していないといいます。すなわち、いつだれが取り憑かれて悪魔憑きとなるか分からないわけです。また、悪魔憑きとなった場合の処置方法も、キリスト教などではそのルールが定められていますが、多くの民間信仰や地域文化の中ではあやふやであり、周囲の思い込みによる無謀な悪魔祓いの儀式が行われて悲惨な結果となることも少なくありません。悪魔の存在そのものは恐ろしいものであり、悪魔憑きとなることも当然恐ろしい体験です。しかし、悪魔憑きに対峙せざるを得ない状況に立たされた時こそ、人は難しい決断を迫られ、人としてこれ以上ない厳しく恐ろしい事態に陥る可能性があるのです。